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京極夏彦『数えずの井戸』

京極夏彦の新刊ですよ。

「一枚足りなーい」でお馴染みの、番町皿屋敷換骨奪胎。
たった今読み終わったばかりです。

四谷怪談換骨奪胎『嗤う伊右衛門』がすごく好きだったもので、
本日書店で見かけて即座に買いました。
そしてはじめて知った、江戸怪談シリーズ三作目だったのですね。

又市とか(名前だけとはいえ)宅悦とか
『嗤う伊右衛門』に出てきた人たちが登場してて、
あれこれもしかして実は「又市シリーズ」なのだろうか、
続けて読まなきゃわからないこともあるのかなあと思いつつ。
二作目である『覘き小平次』は未読のまま番町皿屋敷レビュー参ります。



番町皿屋敷についてどれだけご存知ですか?



私はそういえば何を知ってるかなあと思い返してみて、
「10枚揃えの家宝の皿を一枚割った菊が、
殿様にお手討ちにされ井戸に捨てられ、
夜毎その井戸に化けて出て皿を9枚まで数え、一枚足りないと呟く」
ということしか知らないことに今頃思い当たりました。

だがそんな酷い目に遭っていながら皿を数えるだけなら、
はたして何百年と語り継がれるだろうかそんな害のない幽霊。

そういやなんかどろどろの男女の愛憎劇がどうのこうの、って
話を小耳に挟んだこともあったかなあとおぼろげに思い出しながらページをめくると、
ご親切に巷間伝え聞く番町皿屋敷怪談のあらゆるバージョンが、
はじめにいくつも示されてあります。

そしてあらためてどれもこれも、
「菊が夜な夜な井戸で一枚足りないと呟く怪異」
引き起こす理由付けにはなっていないことが明確にわかるわけです。

当然
「どうして菊は化けて出て皿を数えるのか?」
という疑問を持って、
読者は頁を読み進めるわけですよ。
この最初の大きな疑問を解こうという強い意志があるので、

出てくる登場人物がどいつもこいつも好きになれなくても、
誰も彼もにイライラしても、スラスラ読み進められる仕組みです!
さすがですね京極先生!
……ぶっちゃけたよぶっちゃけたよ私。

いや本当にですね、単に私の個人的な好みですよええ、
登場人物みんな、びっくりするくらいイライラするね!


『嗤う伊右衛門』のような美しくも悲しい恋物語だと思って読んだら、


なんというかダメ男二人の間違った愛情表現に、
それも多分に相手のためというより歪んだ自己愛の投射によって、
まわりの人たちが関係ないのに巻き込まれてメチャクチャにされましたという、

……三行でまとめるともう救いようがないです。



『嗤う伊右衛門』に比べると倍くらいぶ厚いんですけど、
正直繰言が多すぎます。

「それさっき聞いた」
とツッコミたくてしょうがありません。
新聞連載していたそうなので字数制限とか引きの関係とか
そういう問題もあるのでしょうが、内容的にはこの頁数要りませんよね。

むしろこの頁数があるのなら、

もっと菊を、菊の内面を、その善人性を、過去に彼女がされてきた仕打ちを、
掘り下げて描けたんじゃないかと思うのですがどうでしょう。

彼女に読者がもっと共感しやすいように、
彼女がどんなに自分に不利になっても嘘を突き通すその心根が
もっと美しいものであると読者が思い込めるように丁寧に描いてくれれば、
菊の追い詰められている心情をもっとエピソードによって描いてくれてれば、
私の読後感は全然違ったんじゃないかなあとそれは本当に残念です。

「私バカだからわからない」と言って周囲を斬り捨てるのは、
「なんかもう面倒だし何もかもどうでもいい」と言って周囲を斬り捨てる殿様と、
満ちてようが欠けてようが、同じとても冷たい心持だと私には映ります。
又市や徳次郎が最後に嘆くほど菊を美しいようには見えないんです。

殿様はもう本気で途中で「早く誰かこいつをぶん殴れ」と思ったし。
まあ救いは三平くんがいい男だったことですが。
三平くんは本当に心底かわいそうです。

まあダメ人間勢ぞろい大会だからこそ
この太平の世で旗本のお武家様が
たかが皿でお家崩壊するわけで、
マトモな判断力と決断力と行動力のある利口な人がいたら
こんな悲劇にはなってないわけで、
登場人物みんなに腹が立つのは当然のことなのでしょう。

でもやっぱり読後感がよくないのは、
前述の通り菊が「何故そこまでするのか」に対しての説明が
つきつめていうと「バカだから」という身も蓋もないものだということと、

主膳と播磨の人間関係がいまいち伝わってこない、ということ、
殿様播磨は特に何の思い入れもないことはよくわかったけれども(笑)、
主膳がどうして播磨にあれほど執着するのかがよくわからないので、

主膳の中で分類できない複雑な感情ならそれはそれで、
これだけのページ数があるのだから、
播磨との道場での日常的な何気ないやり取りから、
徒党を組んで悪さをするときの会話や表情、
そういったエピソードを積み重ねて読者に「思い入れ」を
持たせておくのは必要だったのではないかなあと思うのですよ。

播磨は何にも興味ない。何か欠けてる。
菊はバカ。私のせいで収まるならそれでいいや。
主膳は播磨を、世界を壊したい。
十太夫は褒められたいだけの器の小さい善人。
吉羅は手に入る欲しいものは必ず手に入れる主義。

ただそれだけのことを繰り返し繰り返し己に語らせるだけではなくて、
具体的なエピソードの積み重ねが欲しかった。

みんながみんな自分のことを「自分はこういう人間だ」と自分で語り、
そしてそこから変わろうとあがくわけではないので、
最後のカタストロフィでも読んでいるほうの感情も高ぶらず、
ただひとり己の枠を越えた三平くんにのみ、心は揺れました。

そして最初に提示された
「何故菊は化けて出てただ皿を数えるだけなのか?」
という大きな疑問に対して示される答えは、
菊に感情移入できない、菊に強く同情できない読者にとっては
「え? それだけ? それだけの理由?」という……
ここまでその疑問で引っ張ってきてそれはちょっと肩透かしな…


どうしても『嗤う伊右衛門』と比べてしまうので
読み方が厳しくなってしまうのは、
傑作を書いた作家の悲しい宿命なのでしょう。
多分、先にこっちを読んでたら
こんな厳しめのレビューにはなってなかったろうと
自分でも思います。

ただやっぱり納得がいかないんだよ!

長屋と武家屋敷がどれだけ近い位置関係にあるんでしょうか。
「何があったか誰にも判らない」とはいえ、

菊が斬り伏せられて播磨が小姓を長屋に遣わす判断をして、
小姓がとにかく長屋に行って菊が死んだとお静に告げて、
お静が呆然としつつも三平に伝え、
三平と静と徳次郎と三人で青山家に行き、
あの状態を目撃する、というのは

え?

と思うわけですよ。
ちょっと難しくないですか。

長屋が武家屋敷の三軒隣にあるわけじゃないだろうし、
小姓は長屋に知らせに行くそれ以前に
あるいはそのすぐ後に下命に背いてでもやるべきことがないですか?
なんで発見がそんなに遅れる? 
小姓何してんだ?
あなたが長屋に行けと播磨に言われたのは、
狼藉者が現れて腰元斬り殺されてお殿様に刀向けられてる最中でしょう?

主膳も主膳で、播磨がテキパキ(?)と
菊の遺体の引取りの算段をつけてる間
黙って見てたわけですか?
黙って小姓を外に出させたわけですか?

難しいでしょう。

ちょっとどう考えても時間的にも感情的にもいろいろ無理があるでしょう。
番町皿屋敷のすべてのバージョンを内包する物語
を作るというテーマなのでしょうが、

無理がある部分、難しい部分は
「目撃者がいないので本当のことは判らない」で曖昧にするのでは、
わざわざ有名な、誰でも知っている「おはなし」を「独自解釈で語り直す」ことの
意義そのものが失われると思うのです。
物語の美しさを優先し、捨てるべき説は捨てても良かったんじゃないのでしょうか。



まあとりあえず足りないなと思う部分は脳内で勝手に補完して、
主膳それ恋だYO! とツッコミながら読み返せば、
この悪い読後感も少しは救われるんじゃないかと思います。
……いや腐女子の悪い癖じゃなくても
昔の日本で衆道なんか当たり前なんですからして!


いろいろ厳しめのことを書きましたが
それでもさすがに京極夏彦先生
このぶ厚さを飽きずに一気に読ませる素晴らしい筆力でして、
人それぞれキャラクターには好みがありますから、
誰か好きになれるタイプがいたら引き込まれてしまういい本だと思いますよ。
特に播磨の虚無感は、この太平の日本では共感する人が多いかもしれません。


江戸怪談換骨奪胎シリーズはこのまま続くのでしょうか。
ならば鍋島の化け猫とか是非読みたいです。

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