ひとりごと
坂田靖子『ベル デアボリカ』1巻
5日ぶりに大きな書店に行ったら坂田靖子先生の単行本が!
なんとまあ、「1」のカウントが!
「大長編シリアスファンタジーついに開幕!」との帯が!
大変失礼な話ですが、
私正直、坂田先生が大長編連載を開始されるとは
夢にも思っていなかったのです。
連載といっても、辞めたいときにいつでも終了できる、
短編連作みたいなものしか、もう描かれないんだろうな、と。
うれしい誤算です。
いやもちろん大好きですよ、
極限まで簡略化されたのんびりした絵ののんびりした短編も。
でもやっぱり
『バジル氏の優雅な生活』が大好きで。
『くされ縁』が大好きで。
『誇り高き戦場』が、
「アモンとアスラエール」が大好きで!!
ちゃんと美形が美形顔で出てくる、
苦悩する端正な男性の姿にときめくシリアス長編。
うれしいうれしいうれしい!!
飛びついて買いました。
タイトルからして『ベル デアボリカ』、
日本列島から飛び出したことのない、
日本語しかわからないダメ人間なので自信ありませんが
「悪魔の美」とか訳せばいいのかなこれは?
麗しい長髪美形男性と、短髪男性のツーショット表紙。
坂田先生の耽美世界だ――! 久しぶりだ――!
BLと呼ぶな!
これは「耽美」だ!
まだ世間にBLというカテゴリが存在しなかった頃の、
坂田先生や萩尾先生が拓いたこの少女漫画の濃い空気は、
「BL」というライトな表現はやはり似合わないと思います。
BLはBLで大好きですよ。念のため。
さて内容はというと、
帯をそのまま書き出してみると以下のようになっております。
陰謀渦巻く世界で悩み多き王ツヴァスは、
禁忌の存在である魔法使いと出会い、そして……
若い王と魔法使い、運命の二人が出会ったその時、
歴史の波は大きく揺れ始める…
中世ヨーロッパ風の、群雄割拠する大陸。
小国の王ツヴァスは国の護りに悩んでいた。
ケルウォース城の背後の谷には
かつてたったひとりで大部隊を全滅させた「魔法使い」が
居住していると信じられており、
物見を立てることが不可能であるからだ。
隣国の裏切りによりどうしても谷を攻略しなくてはならないツヴァスは、
魔法使いの怒りを恐れる近臣たちには内密に、単身「魔法使い」を捕獲しに向かう。
そこにいたのはまるで貧相な子供のような、線の細いヴァルカナル。
強大な魔法使いを、獰猛な魔物同然に見做してきたツヴァスは、
時に赤ん坊のように無防備で無力なヴァルカナルに、
不思議な感情を覚えていく……
……多分ふたりは男色関係にあるんですよ。
ほとんど描写はないんですけどね、匂わしているだけで。
そういう描写が物語のメインではないので。
この空気が好きなんですよ、
描かない事でむしろ色気が増すというか。
「男色関係」とか言っちゃうと二人の関係を侮辱したような気さえする、
この繊細な人間関係が坂田先生の真骨頂ですよねー!
敵ではないかもしれないが、明らかに味方でもない。
でも斬り捨ててしまうことはできない。
普段いろいろいろいろ考え込んでいるけれど、
いざというときは体が勝手に動いてしまう。
別れがたくても、ろくに言葉も交わさない。
この距離感がたまらない……!
喜びのツボがわからないヴァルカナルのキャラクターが素晴らしいです。
食事のシーンの可愛さときたらツヴァスでなくても母性本能が疼きます。
掲載がWebで無料配信なので、
2巻発売まで待たされるんでしょうがあまり苦じゃなさそう。
これからちょっとチェックしていこうかなと思ってます↓
http://asahi-comic.com/hf-club/
さっそく見に行ってみたらやっぱりヴァルカナルが
可愛すぎて悶え禿げる……!2010年6月5日現在。
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塩野干支郎次『ブロッケンブラッド』5巻。
少女漫画におけるジェンダーとか
そういう方面の検索が多いということを書いたんですが、
その原因はこの記事だと思うと何と言うか
大変申し訳ありませんとしか。
そんなわけでブロッケンブラッドの5巻が出てたので買ってきたですよ。
なんだか桜子ちゃんは最近色香が増しましたよね!
どっちかというと楓ちゃん贔屓だったんですが、
5巻の桜子ちゃんがあまりに可愛いんで
楓ちゃんの出番は少ないどころか皆無だったけど
それはそれでいいかというかなんというか
まあ男なんですけど!
主人公はドイツ系日本人の男子高校生、守流津健一(しゅるつ けんいち)。
彼は悪と戦うために日夜魔女っ子ヒロインに変身する。
普段は女子中学生アイドル、ノイシュヴァンシュタイン桜子として活躍中。
……読後、ふとこの設定に違和感を覚えて単行本をめくり返してみました。
桜子ちゃんは大変可愛く、
今巻も映画にドラマにバラエティにと、
ユニット「カッシュマッシュ」でも、ソロでも大活躍です。
大活躍なんですが……
一体も敵を倒してねえええええ!!
0話除く。
礼奈さんの本末転倒ぶりに笑ってましたが、
いよいよ「魔女っ子ヒロインのための女装」が無意味なものに(笑)!
健一くん(割とナチュラルに「桜子ちゃん」と呼んでるんで、変な感じ)の代わりに
誰が様々な事件の犯人を倒したかというと、
懐かしいキャラクターがわんさか出てくるわけなのですが、
塩野先生はどんなキャラも使い捨てになさらないのがやさしいというかなんというか、
個人的に超武闘派子役西川君が大好きなので、また会えて嬉しいです。
これだけ平和のために戦う人材が確保できたら
もう桜子ちゃんは芸能活動に専念してたらいいんじゃないかと
礼奈さんは本気で思ってそうだ。
カッシュマッシュ結成以来、いや多分その大分前から、
正統派美少女魔女っ子なのに、本物の可愛い女の子なのに、
すっかり空気な明日香ですが、
5巻は頑張りました。
全然戦ってないカッシュマッシュに代わって、
懐かしくも強大な敵をかっこよく打ち砕く。
……そんな明日香のパワーアップの源が、
半裸の男子高校生のセクシーショットってどんな時代だ。
明日香は本物の、とびきり可愛い女の子なのに、
同じ部屋で寝泊りすることになって
身の危険を感じているのが健一で、
ドギマギして鼻血を出すのが明日香で、
誰も明日香のことは心配してなくて、って
どんな国だここは。
大丈夫か日本。
半裸にされてキャーキャー言ってるのが男の子で、
それを見て奮起して、守るために前線で戦うのが女の子……
……「リボンの騎士」から遠いところにたどり着きましたねこの国。
しかし相変わらず礼奈さんが持ってくる仕事は絶妙です。
ツァイツェン五郎で大笑いしたことを思い出す。
ウラジミール又郎はひねりすぎだよ!
余談ですが左上の方にちょろっと写っちゃってるのは
写真を撮るのに押えに使ってるブッククリップなんですが
アガサ・クリスティの若い頃の写真です。
本当にただの余談ですごめん。
さてせっかく全員女装男子というフックであるにもかかわらず、
むしろ結成前より空気になってるカッシュマッシュのほかの二人。
勿体無いなあとさすがに思い始めました。
思い始めたところ、
ちらっと1コマだけ描いてある、源太郎さんの大学院生姿に
やたらときめきましたよ。
そこで気づいたんです。
あまりにも桜子ちゃん姿の比率が高すぎるため、
健一君と呼ぶのすら違和感を覚える現状、
常に女装姿であるがゆえにあの二人の「フック」は
すでに読者にとって「フック」として機能していないのだと。
つまり、カッシュマッシュの3人の普段の男子としての姿をもっと描かないと、
「女装男子」というファクターが活かせないということですよ。
いや決して
長髪美形インテリメガネの源太郎さんに萌えた
とかじゃなく(笑)、
トランスセクシャルコミックが乱発されて
「女装男子」であることそのものに特異性が見出せなくなった昨今、
「本当は男の子」
「女装は好きなわけじゃない」
「女装が恥ずかしい」
ということを、
きちんとひとつひとつ描いていくことは
必要なことではないでしょうか。
これも余談ですが本当に今
「男性向け女装男子もの」が乱発されておりますが、
女の子にしか見えない
女装姿しか出てこない
男の子の事が好き
好きで女装している
精神的にも女の子
男子であると隠す気はない
というのも多々あり、しかしながら、
それならそれは女の子でいいじゃないか。
と普通に思うんです。
なぜ女の子ではダメなのでしょうか。
ちょっと考えてみる。
『STOP!! ひばりくん!』とは時代が違うし、
巷に溢れる女装男子の数が違うから、
ひばりくんと同じアプローチはもう新しくはないわけですよ。
そもそもひばりくんは男子であることを隠していて、
それがドタバタコメディの引き金になるわけだし…
あの時代は、「女装男子」が女の子より可愛くて
正当なヒロインとして扱われる、
ということそのものが新しかったわけだけれど。
ちょっと話の方向性が違うが、BLもなかには
「男同士である理由がわからない、
これ普通に女の子に見えますが」
ということをずいぶん言われるものがあるのだけれど、
「女装男子」もBLのように、
「いやとにかくそれは大前提なので」
という一大ジャンルになっていくのでしょうか。
それだけ
「別に同性愛者でも性同一性障害でもないけど、
女だったらもっと楽なのにな、と切に思う」男性読者が、
かつての少女漫画時代の女性読者なみに多い、ということなのでしょうか?
いやしかし、
そのわりに巷に溢れる男性向けトランスセクシャルマンガの主人公たちは、
大概が深く悩んではいないので、そのへんはちょっと疑問です。
……つまりは女装男子に感情移入してるわけじゃないんだな。
可愛い女装男子が萌えヒロインとして最高だというわけならば、
それは
「同性愛者じゃないけど、
可愛い女の子が好きだけど、
女は怖い」
ということなのかな。どうかな。この結論はどんなものか。
……だからギャグマンガで
考察は無粋だってば。
博士ナツカシスとか言ってればいいんだってば。
そういやカッシュマッシュって「かしまし娘」だよね、と普通に思ってたんですが
もしかしたら意味があったらどうしようと思ってぐぐったら、
インド映画がヒットしました。
……かしまし娘ですよね。
前巻「全員女装男子? むしろ最高じゃないか!」という
思い切ったアオリで評判だった帯ですが、
今回はドラマCD化のメインキャストが書いてありました。
かつて魔女っ子ヒロインだった礼奈さん役に、
三石琴乃さんというのが感慨深いですね。
なんだよ健一役釘宮理恵ってそんなの買っちゃうだろなんですと売り物じゃない?
5巻と雑誌の応募券が必要な全員サービス?
どうしよう単行本派なんだけど雑誌を買うじゃないか掌の上の猿だな私。
くぎゅううううううううううう。
またこのオチ……
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吉野朔実『少年は荒野をめざす』
GWが充実してたので嘘です見栄を張りました連休って何ですか仕事してました。
そろそろ更新増やさねばと思いつつも、
レビューを書きたいなあというモチベーションになる本を読めておらず、
どうしたものかと考えながらなんとなくアクセス解析見てたら、
意外と昔の少女漫画とかジェンダーとかで検索してる人が多くいらっしゃって、
それでこの有様ではあまりにも申し訳なく、
もうちょっとそのへんに触れておこうかなと思ってみました。
フェミニストでも何でもないので専門外ですが。
そして私の中では、
そういう方面を描いた最後の少女漫画だと思われる
『少年は荒野をめざす』が頭に思い浮かんだのでレビュー。
『おにいさまへ…』に続きなつかし少女漫画レビュー第二弾ですね。
『少年は荒野をめざす』は
昭和60年から今は亡き「ぶ~け」に連載された、
今や大作家の吉野朔実先生の代表作です。
緑の格子柄のまぶしい、ぶ~けコミックスで持っております。
……このポップなコミックスデザインが作品に全然似合ってないんですよね……
今もばりばり描いていらっしゃって相変わらずとてつもなく巧いんですが、
個人的な好みから言うと、この頃の絵がいちばん好きです。
桜の頃になると必ず読み返してしまうのは、
この卒業式のシーンの美しさが、
何年経っても脳裡から離れないためです。
着ていた頃は重くてダサくて嫌で仕方なかったけれど、
こうして見るといまや絶滅寸前の膝丈スカートセーラー服の、
なんと禁欲的で郷愁を誘うことでしょうか。
5歳の野原に
少年をひとり
おきざりにしてきた
今も夢に見る
あれは
世界の果てまで
走って行くはずだった真昼
やけるような緑と
汗と言う名の夏が
身体にべったりはりついて
空には
付け黒子みたいな黒揚げ羽が
幾度も幾度も まばたきしていた
あの少年は私
今もあの青い日向で
世界の果てを見ている
主人公、狩野 都(かりの みやこ)は、
5歳まで自分を男だと思っていた過去を持つ、
社会不適応気味の少女。
病弱な兄が亡くなる5歳まで、
彼の代理として世界に触れるという役割を担っており、
そのため自己と兄の区別がうまくできなかった。
そんな自分の物語を文化祭の同人誌に寄稿したら、
編集者である級友の兄の目に止まり、
狩野は若干15歳にして小説家としてデビューする。
5歳までの、兄と自分が融合していた世界を
しかし美しいと感じてしまう狩野は、
少年ではない自分というものを、周囲の少女たちのように
単純に受け入れることが出来ない。
仲の良い級友に告白されて、
こんな方向で多大なショックを受けてしまうくらいに。
しかしご覧の通り狩野は髪を腰まで伸ばしているし、
規定どおりのセーラー服をちゃんと着ているし、
女の子に恋をしているわけでもない。
ここで言う、少女漫画の伝統的「少年願望」というのは、
今日的な性同一障害では絶対的にないのです。
そういう意味で、この「少女漫画の伝統」を
ぎりぎり伝統のまままっすぐ描いた最後の漫画じゃないのかなあ、と
私は思うわけです。
いや全部読んでるわけじゃないから知りませんけども。
少女にとって「少年」が「自由」の象徴であった、
最後の時代なのでしょう。
この連載が終了して数年後に、「なかよし」では
「セーラームーン」――少女が少女のまま可愛く自由に戦う物語――が
連載開始されるわけですし。
そう思うと抑圧を感じていた時代の少女の持つ、
この深く重く、そして静謐な美しさときたらどうですか。
この絵、この物語、この詩のようなネーム、
とても今の時代ではなかなか描けない貴重なものだと思いませんか。
そんなわけで社会不適応な狩野は、当然周囲の少女たちとは
どう頑張っても溶け込むことが出来ません。
今の時代の価値観に照らして、
狩野を空気の読めない女、として斬り捨てることは簡単です。
しかしそこをぐっとこらえて、
今の思春期の悩める少女読者に、
狩野の思索に付き合っていただけたらな、と思う老婆心。
受験前の下見に行った高校で、
狩野は
「5歳のときの自分が少年のまま成長した姿」を持つ、
黄味島 陸(きみじま りく)を見る。
ひとめぼれ、という言葉を用いるのは容易です。
しかしそこにあるのは恋愛感情とは言い難い。
狩野が陸に見ているのは理想の自分であり、
理想の自分が隣に立っているのならば
己の存在は無意味なものになってしまう。
一方、複雑な家庭環境が原因で、
己を解放することが出来ない八方美人の陸もまた、
小説家として期待され、円満な家庭に暮らす、
自分によく似た姿をした、しかし自由な狩野に、
複雑な好意と憎しみと自己嫌悪を抱えることになる……
女の子として好きだ、と級友に告白されたときは
あれほどショックを受けたのに、
陸に「自分に似すぎていて、女の子とは感じない」と言われ
逆にショックを受ける自分に気づく狩野。
狩野はそうして少しずつ、
「少女としての自分」を受け入れるようになる。
しかし吉野朔実ですから、
恋をして女の子になりました、なんて単純な展開はしません。
これは乙女のための純愛物語ではなく、
アイデンティティ確立の苦しみを描いた、痛い青春物語なのです。
狩野と陸はお互いの中に理想の「自分」を見ている。
根源は自己愛であって、単純に恋愛関係にはなれない。
ふたりでいると喜びは倍になり、苦しみも倍になる。
お互いがお互いに、どうしても過剰反応してしまう運命。
狩野を有望な小説家として、無数の夢を見せる美しい少女として愛する、
評論家の日夏は、そのままいけば二人がどうなるか、
最初からわかっていたのだが……
……結末は知ってるのに、
今回改めて読み返して、
やはり飛び降りのシーンは心臓が縮む感じがします。
……若いってバカだ。
でもこの真摯な若さのバカを、ここまできっちり描けるってすごい。
そしてその若さによる暴走をずっと愛しく見守っていた日夏さんの、
一貫して冷静なシニカルさが、今になってみるとひどくいとおしいです。
私 日夏雄高は
かねてより憧れていた
傷心旅行に出掛けます。
日夏邸 使用者へ
生ゴミはきちんと出しましょう。
火・木曜日です。
子供の頃には何も感じず読み流したこの書き置きを、
切ないなあと感じたのは大人になってからでした。
そしてこの物語は、とても印象的なラストシーンを迎えます。
私の勝手な思い込みですが、
少女漫画トランスジェンダー伝統の最後を飾るに相応しい、
美しい解放的なシーンではないでしょうか。
ふり向くと
私の記憶から
とき放たれた夢の少年は
荒野をめざして
走ってゆくのだ
あの時
そうしようと
したように
何処までも
何処までも
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紺野キタ『Cotton』とのだめ24巻。
新装丁で未収録作品追加とか言われると、
やっぱり好きな作家の本は買ってしまう…
ゆれる少女の群像劇を描かせたら日本一の紺野キタ先生の、
新装版『Cotton』が幻冬舎から出ていたので買ってきてしまいました。
そしてやっぱり何度読んでも良いと思う…
いまどきの手足の長い、折れそうな骨格の美少女も良いですが、
一昔前の膝丈スカートを重そうに揺らす素朴な女学生も良いですね!
未収録作品が素晴らしかったのでやっぱり買ってよかった。
百合はやはり女性作家の描く、ニュアンス重視の方が好きです。
紺野キタ先生は、
古き良き時代の少女漫画の正当な継承者だと勝手に私は思っています。
ちょっとした視線の絡み合い、
ためらいがちに伸ばされる指先、
ふと訪れる沈黙の瞬間、
そっと唇を寄せた内緒話、
そんな何でもないことにドキマギします。
これでこそ!
これでこそなんですよ!
長い髪の美少女が着ているのは純白なスリップドレスであるべきなのです。
そうなんです。
その美少女が独占欲が強い寂しがり屋の天邪鬼だったら
それは至高の宝石なのです。
異論は認めないです。
何とでも言え。
そんなわけで表題作『Cotton』も無論素晴らしいのですけれど、
より私の好みなのは最後に収録されている短編
「Under the rose」の方です。
母親が亡くなり、父の家に引き取られる葉月。
その家には腹違いの姉妹、桂(けい)が孤独に住んでいた。
母親にも父親にも省みられない生活。
学校では話しかけないで、とぴしゃりと言い放つ美しい桂。
学校では完全に無視され、
桂の取り巻きに嫌がらせを受ける葉月だが、
孤独な家の中では姉妹ふたり、そっと寄り添っている……
……たまりません。
桂の長い髪がさらさらと流れるだけでときめきます。
己の感情を持て余す思春期の少女の葛藤を、
繊細に丁寧に拾い上げる紺野キタ先生の優しい作風に、
うっとりと酔っちゃってください。
……そしてのだめ。(デジャヴ)
なんだ続きが出るんじゃないですか前回なんてことを書いちゃったのか私ったら。
どうして最終回だなんて勘違いしたのかなあ何といっても人気絶頂なんだし、
共演なんてこれからこれから。
エントリー削除しなくちゃって感じ…………
…………番外編て。
番外編って。
どう受け止めればいいんですかインターバルがあってまたちゃんと本編になるんですか。
というかこれ別に本編扱いでいいじゃないですか、
わざわざ番外編って事はやっぱり物語は一回ENDついてるって解釈でいいのか。
わからないどう受け止めればいいのかわからない。
エマ?
……面白かったんでもうどうでもいいや。
懐かしいキャラクターがわんさか出てきて、楽しいです。
のだめが一番好きだった頃の空気で、読んでて嬉しくなってきます。
彩子さん元気かしら。
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コミカライズ『まほろ駅前多田便利軒』1巻
三浦しをん先生の直木賞受賞作『まほろ駅前多田便利軒』を、
山田ユギ先生によって忠実にコミカライズした第一巻。
というかですね、私このコミックスの発売を心待ちにしていたのですが、
発売日に見つけられなかったんですよ行きつけの書店数店で。
発売延期になったんだなあとか勝手に納得してたんですよ。
最近多いからね私が待ってるコミックスの発売延期とかって。
まさかどこに行っても
BLコーナーに分類してあるとは思わなかったのでね!
ちがうもんちがうもんBLじゃないもの!!
一応直木賞受賞した原作なのに本屋さんひどい!
そりゃあ三浦しをんといえば『月魚』を筆頭にそういう匂い強い作家さんだし、
山田ユギと言えばBL黎明期からずっと第一線のエースBL作家さんだし、
あれ?
本屋さん悪くなくね?
……まあそんなわけで誤解を生みがちなタッグなわけですが、
大変良いコミカライズだったので一応、
「BLじゃないよ!」
と言うためにとりあげてみました。
単に収納の問題から、できるだけ小説は文庫で買うんだぞ私! と
日々自分の理性に言い聞かせているにもかかわらず(まあ割と負けますが)、
私が発売とほぼ同時に原作を上製本で買ってしまったのは、
本格ミステリを前にすると理性を失う私が、
出版社の枠を超えて例の「まほろ市ミステリシリーズ」が始まったのか?
三浦しをん本格ミステリデビューか?
と誤解したからだったのも、今となってはいい思い出です。
いい思い出と笑えるのは、
ミステリではなかったけど、私好みの内容だったおかげですが。
じゃあもう「まほろ市」は「ネズミーランド」みたいなもんでよくね?
そんなわけで一瞬
「あれ? まほろ市って実在してるっけ?」
と考え込んでしまった…
そんな人割といるんじゃないでしょうか。
いなくても特に気にせず生きていきますが。
先に小説を気に入って精読しまくったあとに映像化と言うと、
どうしても自分の脳内の漠然とした理想像と比較してしまうから、
それが二次でも三次でも、
「違うんだこのシーンはこういうカメラワークで見たかったんだ」
「なんでこのエピソード削ったし!」
「キャラクターがイメージ違うよぅ」
などなど、つまらないことがひとつひとつ気になってしまい、
不当に低く評価してしまうのは世の常です。
しかしその不当な高いハードルを悠々と飛び越え、
「すごい! すごいよこれ、ドンピシャだ!」
となったのが今回の山田ユギ先生によるコミカライズ。
誰が決めたか知らないが、人選した人とは友達になりたいです。
向こうの方でお断りなのは重々承知してます。
表紙を見ただけでキャラクターデザインが個人的にどストライク。
原作に忠実な台詞、丁寧なエピソードの消費、
きちんと描かれた背景の生活感、
主人公たちの表情に見える哀愁、それでも忘れないユーモア、
どれをとっても素晴らしい。
このシーンに一ページ丸ごと使ったコマ割のセンスとか!
これを見た瞬間にこのコミックスは傑作になると思いました。
まだ完結してないので気が早いよと言われても。
基本原作に忠実なんですが、
原作ではもっといろいろ迂回しなくてはならなかった
犬の飼い主までたどり着く流れがコミックスではうまくコンパクトにされてたり、
マンガとしてテンポがよく、
あまりにも山田ユギ作品の空気と嵌っていて、
割と原作に忠実に映像化されたものは、
テンポがどうにもそのメディアとは嵌ってなかったり、
妙によそよそしい感じが漂ったりすることも多い中、
まるで原作者の存在を感じさせない山田ユギのコンテセンス、
天才じゃないですかこの人。
原作を咀嚼し、きっちり自分の血肉にしたんだなあ、と
コミックス収録の「おまけ」を読むとよくわかります。
なんだか原作でこの番外編を読んだことがあるような気さえして、
慌てて原作を読み返したくらいです。
このルルなんていかにも原作に出てきそうじゃないですか?
行天の浮世離れしたつかみ所のない感じ、
多田の時折見せる哀愁漂う淡白な諦観。
「いろいろ疲れたけどでもなんとかやってる」大人の男を
色っぽく描くのは天下一品の山田先生が、
この難しいキャラクターをとても魅力的に描いてくれていて、
原作ファンも満足の一冊だと思います。
まだまだBLコーナーに分類されてることが多いけど!
是非未読の原作ファンは読んでみて欲しいです。
ところで話のついでですが、
三浦しをん著『月魚』といえば、
あの作中のふたりについて
「とっくに肉体関係持ってるけどお互いの感情を探り合ってる臆病同士」
と読むか、
「お互いの感情に踏み込めず、無論肉体関係もない臆病同士」
と読むか、どちらだと思います?
私は後者で読んでいたんですが、そうすると意味がつかめなくなる台詞があるよね……?
いやでもなあ……どうでしょう?
(結局BL的な話題で終わるのもどうなのか)
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弐瓶勉『シドニアの騎士』衝撃の2巻
単行本の発売日ってもうちょっとこう出版社ごとにバラけてくれないものでしょうか。
チェックしてる新刊が月末刊行ラッシュでいろいろおっつきません。
今更ながらの個人的に贅沢な愚痴はともかく。
このクオリティでこのスピードで2巻が出るとは、
1巻を読んでいたときには想像もしていなかった『シドニアの騎士』2巻。
すごすぎる。
ああもう何から書いていいかわからない。
読んでて衝撃を受けました。
こんな展開予想してなかったよ! 微塵も予想してなかったよ!
どうなっちゃうんですかこれから。
地球どころか太陽系が破壊されている世界。
舞台は宇宙空間を旅する巨大船シドニア。
シドニアのほかにも人類の繁殖と生産を維持しながら外宇宙に脱出した船は
数百隻あるが、もう何百年も他船との連絡は取れていない。
太陽系を破壊したのは意思の疎通が不可能な外宇宙生命体<寄居子>(ガウナ)。
本体と胞衣で構成されるガウナの生態には謎が多く、
ガウナの破壊はシドニアに28本しかない<カビザシ>という槍でのみ可能。
主人公谷風長道(たにかぜながて)は、シドニアの最下層で
何故か祖父と二人だけで暮らしていた少年。
祖父の死後、いろいろあって、シドニア艦長が身元引受人になり、
ガウナからシドニアを守るための衛人(モリト)という戦闘機の訓練生になる長道。
というところから始まる『シドニアの騎士』、本格的ハードSFです。
世界観の説明はじわじわ出てくる感じなので、
SFを読みなれてない方にはちょっととっつきづらいかもなのです。
そもそも主人公長道が何故祖父とふたり隔離されて暮らしてきたのか、
光合成が出来るように改良された人類の中で何故長道だけできないのか、
長道だけケガの治りが異様に早いのは何故なのか、
そういったことは2巻でもまだ解明されていないものだから、
主人公長道に感情移入はまだなかなか難しいです。
でも作者はこの難しい設定と展開に対して、
我々が入り込みやすい空気を用意してくれています。
それがシドニア内部の、ものすごく綿密な舞台設定。
和風な空間で蕎麦を食べる長道と同級生イザナ。
居住区の描写がすごく「現代日本」なのです。
お祭りがあるなんていうと浴衣で団扇持ってリンゴ飴。
たいへんとっつきやすいです。
生まれも育ちも普通のシドニア人と違う長道にやさしくしてくれるのは、
男でも女でもない可愛いイザナと、
清楚で可憐で優秀な星白閑(ほしじろしずか)のふたりだけ。
星白の可愛い浴衣姿にドキマギする長道の様子を、
ミニ浴衣で妬きながら見守るイザナとか3人とも可愛いです。
だがこの可愛らしい思い出を作った「重力祭り」は
このあと二度と行われることはなかったという――
悲劇の匂いを漂わせた1巻を経て、
発売されたばかりの2巻は、シドニア最強のチームがガウナに全滅させられる、
ハードなシーンから始まります。
なんとか逃げ切るシドニアですが、多くの犠牲が払われました。
祖父と二人だけの生活だった長道にとって、衝撃が続きます。
最強チームが倒されてしまったことで、
訓練生がカビザシの回収に向かうわけですが、
そこで主人公長道が、型落ちながらも由緒ある機体<継衛>(ツグモリ)に乗り、
回収したカビザシで、見事ガウナを倒します。
この瞬間長道は、シドニアの英雄に!
カビザシを持つ継衛の勇壮な後姿。
そして漂流する星白を助けに行く英雄長道。
自分に構っていたら長道も帰還できなくなると思い、
呼びかけに応じなかった星白の健気さが素晴らしい。
やさしくて有能で可愛くて自己犠牲精神の強い大和撫子なヒロイン。
そして二人きりの宇宙空間でなんだか気持ちが盛り上がる少年少女…
継衛に思い入れがあるために長道がムカついてしょうがない岐神(くなと)を筆頭に、
長道は周囲に冷たくあたられることが多いものだから、ハッキリいじめだから、
読んでるほうも星白のやわらかい物腰にずいぶん救われているのです。
もちろんイザナのやさしさにもですが、まあそれはおいおい。
ともかく無事に帰還し、一躍英雄となった長道、見事な掌返しが彼を待っていました。
なんだか突然モテモテな空気も漂い始め、
どうやら長道にフォーリンラブなイザナは気が気じゃありませんが、
星白と長道の間にほんわかなやさしい空気が出来上がっていて、
正直周囲がどれだけ騒いでも入り込む余地はございません。
最強チームが全滅して人手不足のシドニア。
衛人正規操縦士に、
長道と星白、岐神、そして仄焔(ほのかえん)の4人の訓練生が繰り上がります。
チームを組むことになったからには仲良くやろうという空気も生まれ、
ようやく長道がシドニアの一員として迎えられたかに見えた2巻後半――
どうしても継衛の操縦士として長道を認められない岐神の悪巧みの瞬間。
顔だけは美形だがこの人腹の中真っ黒。
岐神の策略にはまって作戦を失敗させた長道に危機が!
気が遠くなっていく長道――――
――そして衝撃の展開が!
詳しくは書けない書きたくない。
いやもうびっくりした繰り返すが全然予想してませんでしたこんな展開。
どうなっちゃうんでしょうか3巻、誰か彼らに救いの手を。
何故カビザシだけガウナに効くのかとか何故28本なのかとか
気になる謎はあるけどそれよりももうなんというか心配でしょうがない。
でもまとめて読みたいから単行本を待つのだけれども
クオリティの高さに対して刊行スピード早いけどでもでも早く続きを!
3巻刊行予定の夏まで待てるでしょうか私!
こんなこと書いてて明日には雑誌読んでるんじゃないか!
今出てるアフタヌーンの表紙が可愛い長道とイザナなんだよなー……
2巻の帯で椎名誠氏が書いていますが、まさしく
激しくてやさしくて
不思議な世界。
ハードSFを読みなれていない方にも是非チャレンジしていただきたい、
鬼才の意欲的な最新作です。
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石川雅之『純潔のマリア』1巻。
タイトルだけはずっと前から知ってましたが雑誌未読のため、
何の情報もないままコミックス読みましたともさ。
……何の情報もないのに、
『純潔のマリア』なんてタイトルから主人公の少女は
美しくたおやかで夢見がちでやさしくて従順で……などとは
まったく微塵も想像してなかったわけですが。
だって石川先生だし。
聖母マリアを連想させるタイトルに対して、
主人公マリアはアンチキリストの立場、「魔女」。
舞台は中世ヨーロッパ、魔女狩りの嵐が吹き荒れている
百年戦争まっただなかです。
石川先生の線の多い骨太の絵が、
百年戦争の舞台にリアルな質感を醸し出しています。
舞台に絵がすごく似合います。
閉塞感漂う荒れ果てた世界で、
強大な魔力を持ち健全な精神を持つマリアは、
サキュバスのアルテミスを使役し、
軍の指令系統を性的な意味で骨抜きにするという手段を用い、
「人を殺すことなく目の前の戦争をやめさせる」日々を送っています。
そんなおピンクな魔法を使うマリアですが、
タイトルの通り自分は未経験。
手段はサキュバス任せなので、
何が起きてるか具体的なことは何も知らないおぼこっぷりで、
アルテミスにからかわれる毎日。
というわけでマリアが可愛いです。萌え狂います。
特に女と男色家用に男の淫魔、インキュバスを作れと
アルテミスに進言されるくだりがもう、強烈に可愛いのでとにかく読め。
なんとか作ることは作ったインキュバスと、サキュバスは
人間型のほかにフクロウの姿を持っている、というか
フクロウがベースなんですが、
こんなに基本緻密な、線の多い描写な漫画なのに、
……これ「フクロウ」なんですって。
フクロウと呼ばれてたしそう書いてあるけど、
絵と結びつかなくて「これはなんだろう? こういう魔物?」と
しばらく悩んだ。
もやしもんの菌みたいなものだと思えばいいのでしょうか。
リアルな姿は別にあるけど便宜上この姿という……えーと。
……まあともかくウブで可愛くて意地っ張りで脳みそ小娘で、
でも強大な能力と行動力と正義感を持つマリアの暴れっぷりは、
とても爽快感があって読んでいて楽しいです。
しかし読者が爽快感を得るほど派手に暴れまわっていたら、
大天使ミカエルに目をつけられました。
神の名の下に非道が行われることを看過する天使は、
しかし魔女が魔力を持ってそこに介入することを認めないというスタンス。
現世利益、八百万の神の国の人間の私ですから、
どうしてもミカエルの言い分がわからない。
どうしてもマリアの方に肩入れします。
多分日本の読者は殆どがそうだと思うのですが、
漫画がグローバル化した現在、舞台となっている世界に住む
舞台となっている当該宗教に身を浸している世界の読者は、
ミカエルの言い分の方に肩入れするのだろうか、と
考えてもみましたが、うまく想像できませんでした。
だってヤハウェは気に入らねえって理由で洪水起こしたりいろいろしてんじゃん…
もしかしてマリアは「魔女」という人外で、
人間のカテゴリには入らないということなのでしょうか?
特殊な能力を持っただけの人間、ではないのか?
ミカエルの言い分に正当性を認めるためにはその前提条件が要る。私には。
とにもかくにも、ミカエルのせいでマリアの行動に枷がつきました。
そしてタイトルと連動させて以下続刊。
またまた続きが楽しみな漫画が現れてしまいました、収納どうしよう。
もやしもんとは全然違うアプローチで、でもムチャクチャこちらも面白いです。
石川先生の引き出しの多さに感動します。
巻末の「正しいゴーレムの作り方」まで大笑いしました。天才だこの人は。
…………ただ、
……「主役級の美形顔」にはもうちょっと引き出しが欲しいかな!
まあアルテミスはマリアの10年後という設定だから似てるのは当然としてもですよ……
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高野真之『BLOOD ALONE』6巻。
5巻発売より約2年。
待たされましたねえ。
多分同じ人はいっぱいいると思うけど、私間違って5巻を2回買ったからね!
それでも新刊が出てるとなんだかんだで買ってしまい、
何度も何度も1巻から改めて読み返させられる『BLOOD ALONE』。
何度も何度ももう何年も読んでいるのに、
1コマ1コマがまったく飽きない、不思議な魅力に溢れています。
しかしひとに薦める時には説明の文言が難しい。
吸血鬼少女と人間のほのぼのホームドラマ?
吸血鬼の血族をめぐるバトル漫画?
モテモテ鈍感クロエをめぐる、ラブコメディ?
どれで説明しても全部本当で、全部間違ってるような気がします。
ではあらすじを説明しようかと思っても、
主役のミサキとクロエからして過去がまだ曖昧で、
立ち位置が微妙で説明しにくい。
だからというわけでもないのでしょうが、
必ず新刊の帯についてくる本文抜粋の、
絶対に誤解されることを狙っている内容紹介が、
「これでいいのか」と思いつつも、毎回楽しみだったりします。
今回6巻の帯は下着姿のレディに襲われるクロエ……
……いやさすがにレディ相手にその誤解は無理だわ編集さん。
主人公の湊ミサキは小学生くらいの外見の少女です。
なんでこんな曖昧な言い方かというと彼女は吸血鬼だからです。
ただ精神年齢もあまり変わらないので、
まだハッキリと本編で明かされたわけではありませんが、
彼女が吸血鬼になったのはここ最近の出来事のはずです。
吸血鬼ですが彼女は一ヶ月に一度血を飲まなきゃいけないことと、
昼間に外を歩けないだけで、
いたって健全な精神の、普通のおしゃまな女の子。
彼女の中には吸血鬼の血族の中でも希少価値の高い「太古の血脈」が
息づいているのですが、今のところそれは彼女自身を変えてはいません。
彼女は作家の黒瀬クロエという成人男性と一緒に暮らしています。
ミサキはクロエが大好きです。
まだ子供なので淡い恋愛感情であり、クロエには相手にされていませんが。
読書家で意地っ張りでオシャレさんで可愛いミサキ。
クロエの説明が難しい。
「万能の魔法使いクロエ」と同名にしてその弟子、
時間を操る能力を授かった狩猟者(ヴァナトーレ)、吸血鬼を狩る者。
日本で売れない作家をやりながらミサキを養いつつ、
探偵という職業をやってるらしいがそのシーンはあまりない。
昔、最愛の姉を攫った<真実の眼>(アデヴァラート・クライ)という
吸血鬼を探しているが、
養い子のミサキがその血脈にされてしまったため、
(同じ血脈の吸血鬼はその親玉に操られてしまうので、
ミサキを連れて探すわけにもいかないし、子供のミサキを置いてもいけない)
現在は身動きが取れていない状態。
学生時代のクロエとその最愛の姉モトエさん。
どんなにモテてもクロエがまったく女性を相手にしないのは、
クロエはモトエさん一筋だからです。
ここ私の最大萌えポイント。
……多分、これで合っている筈だ。多分。
こうして列記すると
たいへん壮大な吸血鬼血脈バトル漫画設定が詰まっているんですが、
ミサキとクロエのほのぼの日常漫画を軸に
じわーとその設定が匂ってくるだけなので、
あまり詳しいことが読者にはまだわかりません。
だが1冊出るのに2年必要な挙句、もう6巻です。
じわじわバトルも増えてきたし、クロエの過去もわかってきたし、
「真紅の剣」(インシグラット・スパルダ)なんてわかりやすい敵も出てきたし、
そろそろエンジンかかって<真実の眼>との対峙に向けて
物語が大きく動き出すのかなと思ったんですけども、
動きませんねえ。
クロエがはじめて倒した「古い世代」(アルハイク)の吸血鬼の娘が出てきて、
これは「真紅の剣」の謎や構成がわかる前フリかと思ったんですが、
どうも固いシノノメに替わって登場したラブコメ要員に見える…………
これだけの過去と壮大な設定と能力を持ったクロエが
6巻で何をやったかというと、
風邪のシノノメの看病をして
ヒグレ様に借りを返せと言われて悲恋のレンフィールドを捕まえて
有名作家に相談を持ちかけられてその役目をミサキに奪われ
締め切りからの逃避で掃除機かけたがったり映画見たがったり。
特に28話「あなたのために紡ぐ言葉」は
あれ? これ『Papa told me』だったっけ? と思いました。
相変わらず本筋が進みません。
ミサキとクロエのほのぼの劇場、
「お砂糖3つは子供っぽいもの」とかそういうかわいい話が本筋かもしれませんが!
「やさしい姉に夢中な弟萌え」(そうです、兄でなくても可)のワタクシとしては、
モトエさんの話が気になってしょうがないわけでして。
ミサキが可愛いのでほのぼの劇場も大好きなわけですが。
いいんですが! 6巻はミサキの出番が少ない!
モトエさん救出の話も進まずミサキの出番も少なく、じゃあ6巻は何なのと問われれば、
ヒグレ様でした と言わざるを得ません。
ヒグレ様――――!!!
同属食いまでさせられたヒグレ様への「借り」を返すのが、
こんな程度のことでいいとは思わなかったです。
お優しすぎますヒグレ様。
どうしても様付けで呼んでしまうショタ外見ながら最も古い血脈の王、
「アルハイク」のヒグレ様です。
ショタ外見ながら中身おじいちゃんです。
たいへん能力が高く、近隣の吸血鬼を束ねる「ボス」。
飄々としてつかみ所がなく恐ろしい人ですが、
なんかやたらやさしいですねこの人。いや吸血鬼。
なんでヒグレ様はミサキにこんなに甘いのだろうと思ってましたが、
どうもミサキにだけでなくてまんべんなく甘いな!
マリアも幸せそうでよかったよ!
吸血鬼に血を与えられ半不死になり、その吸血鬼の奴隷となる「レンフィールド」、
レンフィールドは精神を親元の吸血鬼に完全に支配される存在なのですが、
マリアを筆頭にヒグレ様のレンフィールドはみんななんだか自由気まま。
そして今回のレンフィールドと吸血鬼シズカの悲しい物語、
そして沈み込むヒグレ様を見てから、
改めて一巻のヒグレ様とそのレンフィールドのやりとりを読み返してみます。
最初に読んだときは「可愛子ぶるヒグレ様」に笑うギャグシーンだと思ってましたが、
読み返してみると切なくなってきてしまうのでした。
ああ説明し忘れましたがヒグレ様はそういう趣味の方です。
6巻はいきなりの「万能の魔法使いクロエ」、レディの下着姿でびっくりしましたが、
それよりもなによりも、やはり
茶系を扱わせると日本一の絵師だなあ高野真之先生。
色使いの美しさに見惚れてしまいます。
そうなんです冒頭で書いた「不思議な魅力」の第一要素は、この情趣深い絵にあるんでしょう。
特に茶系統でまとめた表紙イラストは素晴らしいです。
茶系統の時に比べると、6巻の青系統の表紙は正直今ひとつかなあと思いますが、
ミサキが可愛いのでこれはこれで!
たいへん説明しにくいスロー吸血鬼物語。
気の長い人にはお勧めです。