ひとりごと
久しぶりに長野まゆみ『レモンタルト』
学生時代ドラマCDまで買う勢いでハマっていた長野まゆみさんですが、
ここ数年はスペースの問題もあり「文庫が出たら買うか…」という感じで、
ハードカバーを買うのは久しぶりです。
すみません「義兄」って響きに弱いんです。
BLとかも「兄」って書いてあると買っちゃうんです。
兄が端正で色が白くて眼鏡とかかけてたりするとのた打ち回ります。
大好きな『少年アリス』とかを長野先生本人が現在リメイクしていて、
作者側にいろいろ思うところがあるのはまあ理解できるんですが、
読者の立場からすると「そんな未熟なものにハマった自分」って作者にとって何?
という疑問が沸くのは致し方ないというか、ちょっと寂しい気持ちになります。
いや違うな、
もう「読んだ本」は自分の一部であって、
その自分の世界に横から手を入れられてる感じというか、
うん、ちょっともやもやします。
いやわかるんですよ。
耽美で流麗な時代がかった描写を特色としてた初期を経て、
長野先生は「のような」の多用を戒め始め、
過度な形容を控えるという変遷を見てきたので、
現在の文体からかけ離れた初期の作品が
作者の目には未熟に見えてくるという心理は。
そのもやもやもあってちょっと離れてたのですが、
私の弱点「端正な兄に夢中な弟萌え」を帯に直撃されたもので
久しぶりに新刊を買ってきたという腐りっぷりなわけで、
大きなことは何も言えません。
いや一応言い訳しとくとBL要素関係なくブラコン萌えですので。
そしてページを開いて、びっくりです。
前述の通り知ってた、知っていたんですが。
まあなんてさっぱりした文体!
何ページか読んでは表紙の作者名を確認してしまう勢いで。
いい意味でも悪い意味でも「普通の文章」。
そして「普通の読みやすい文章」で長野世界を読むと、
いやあの、お前ら大人なんだからちゃんと話せ とか
そんなことあるわけないだろう、ここどんな日本? とか
ケガしすぎ。同性愛者多すぎ。
一流企業の社会人なのに言動が誰も彼も学生みたい とか
いつも都合よく通りかかるんだけど実はストーカーですか とか
このお母さんキャラクターが怖い とか
今までは耽美で流麗な文体に酔わされて、
ファンタジーとして成立していた世界観が、逆に粗に見えてくるという……
難しいものですね。
未だに初期の小説は何度も読み返すし
ドラマCD「少年アリス」と「天体議会」は
声が緒方恵美さんと高山みなみさんで
最高のできばえなんで聞き返してるし、
天体議会の「藍生」さんには
想像つく方にはわかるだろうけどメロメロですし、
基本大好きな作家さんです。
でもその文体や世界観の耽美さに惹かれていた過去があるだけに、
山の神も愛娘も小悪魔も、そのあたりはこころえているらしく、
ぬけ目なく鈴をころがす。
という文章の加齢臭というかなんというか、正直衝撃でした。
自分でもびっくりするくらい何故か悲しくなった。
なんだか全体的に義兄を安楽椅子探偵にした
ミステリ短編連作みたいなノリになっているので、
もしかしたらあえてそういうふうにしてるのかもしれない、と今
自分を説得してるところです。
最初の傘の謎が解けていないので、
これはもしかしたら続き物かもしれない。
一冊で判断を出しちゃいけない。と。
端正で頭脳明晰で
やたら弟のピンチに通りかかる(笑)、
義兄の朝比奈一哉さんは想像通りステキでした。
長野先生の描く「兄」という存在は、
昔から私の萌えポイントを正確に突きます。
そればかりは抗えません。
一哉さんのために、続きがもし出たら買います。
そして、傘の謎がきちんと「ミステリ」として美しく着地していて、
長野先生が新しい世界の扉を開いたのだと、
祝福できたら幸せだなと思います。
ミステリ好きだし!
とりあえず今日は『夜啼く鳥は夢を見た』と『天体議会』を読み返してきますけども。
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