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吉野朔実『少年は荒野をめざす』

がんがん書くとか言いながらまたしばらく放置気味でした。
GWが充実してたので嘘です見栄を張りました連休って何ですか仕事してました

そろそろ更新増やさねばと思いつつも、
レビューを書きたいなあというモチベーションになる本を読めておらず、
どうしたものかと考えながらなんとなくアクセス解析見てたら、
意外と昔の少女漫画とかジェンダーとかで検索してる人が多くいらっしゃって、

それでこの有様ではあまりにも申し訳なく、
もうちょっとそのへんに触れておこうかなと思ってみました。
フェミニストでも何でもないので専門外ですが。


そして私の中では、
そういう方面を描いた最後の少女漫画だと思われる
『少年は荒野をめざす』が頭に思い浮かんだのでレビュー。

『おにいさまへ…』に続きなつかし少女漫画レビュー第二弾ですね。




『少年は荒野をめざす』

昭和60年から今は亡き「ぶ~け」に連載された、
今や大作家の吉野朔実先生の代表作です。

緑の格子柄のまぶしい、ぶ~けコミックスで持っております。
……このポップなコミックスデザインが作品に全然似合ってないんですよね……

syounen0.jpg

今もばりばり描いていらっしゃって相変わらずとてつもなく巧いんですが、
個人的な好みから言うと、この頃の絵がいちばん好きです。


桜の頃になると必ず読み返してしまうのは、
この卒業式のシーンの美しさが、
何年経っても脳裡から離れないためです。

syounen1.jpg

着ていた頃は重くてダサくて嫌で仕方なかったけれど、
こうして見るといまや絶滅寸前の膝丈スカートセーラー服の、
なんと禁欲的で郷愁を誘うことでしょうか。




5歳の野原に
少年をひとり
おきざりにしてきた

今も夢に見る
あれは

世界の果てまで
走って行くはずだった真昼

やけるような緑と
汗と言う名の夏が
身体にべったりはりついて

空には

付け黒子みたいな黒揚げ羽が
幾度も幾度も まばたきしていた

あの少年は私
今もあの青い日向で
世界の果てを見ている






主人公、狩野 都(かりの みやこ)は、
5歳まで自分を男だと思っていた過去を持つ、
社会不適応気味の少女。

病弱な兄が亡くなる5歳まで、
彼の代理として世界に触れるという役割を担っており、
そのため自己と兄の区別がうまくできなかった。

そんな自分の物語を文化祭の同人誌に寄稿したら、
編集者である級友の兄の目に止まり、
狩野は若干15歳にして小説家としてデビューする。

5歳までの、兄と自分が融合していた世界を
しかし美しいと感じてしまう狩野は、
少年ではない自分というものを、周囲の少女たちのように
単純に受け入れることが出来ない。


仲の良い級友に告白されて、
こんな方向で多大なショックを受けてしまうくらいに。

syounen5.jpg


しかしご覧の通り狩野は髪を腰まで伸ばしているし、
規定どおりのセーラー服をちゃんと着ているし、
女の子に恋をしているわけでもない。

ここで言う、少女漫画の伝統的「少年願望」というのは、
今日的な性同一障害では絶対的にないのです。


そういう意味で、この「少女漫画の伝統」を
ぎりぎり伝統のまままっすぐ描いた最後の漫画じゃないのかなあ、と
私は思うわけです。
いや全部読んでるわけじゃないから知りませんけども。


少女にとって「少年」が「自由」の象徴であった、
最後の時代なのでしょう。


この連載が終了して数年後に、「なかよし」では
「セーラームーン」――少女が少女のまま可愛く自由に戦う物語――が
連載開始されるわけですし。


そう思うと抑圧を感じていた時代の少女の持つ、
この深く重く、そして静謐な美しさときたらどうですか。
この絵、この物語、この詩のようなネーム、
とても今の時代ではなかなか描けない貴重なものだと思いませんか。



そんなわけで社会不適応な狩野は、当然周囲の少女たちとは
どう頑張っても溶け込むことが出来ません。

今の時代の価値観に照らして、
狩野を空気の読めない女、として斬り捨てることは簡単です。
しかしそこをぐっとこらえて、
今の思春期の悩める少女読者に、
狩野の思索に付き合っていただけたらな、と思う老婆心。



受験前の下見に行った高校で、
狩野は
「5歳のときの自分が少年のまま成長した姿」
を持つ、
黄味島 陸(きみじま りく)を見る。


ひとめぼれ、という言葉を用いるのは容易です。
しかしそこにあるのは恋愛感情とは言い難い。
狩野が陸に見ているのは理想の自分であり、


理想の自分が隣に立っているのならば
己の存在は無意味なものになってしまう。



一方、複雑な家庭環境が原因で、
己を解放することが出来ない八方美人の陸もまた、

小説家として期待され、円満な家庭に暮らす、
自分によく似た姿をした、しかし自由な狩野に、
複雑な好意と憎しみと自己嫌悪を抱えることになる……


女の子として好きだ、と級友に告白されたときは
あれほどショックを受けたのに、

陸に「自分に似すぎていて、女の子とは感じない」と言われ
逆にショックを受ける自分に気づく狩野。

狩野はそうして少しずつ、
「少女としての自分」を受け入れるようになる。

syounen2.jpg


しかし吉野朔実ですから、
恋をして女の子になりました、なんて単純な展開はしません。
これは乙女のための純愛物語ではなく、
アイデンティティ確立の苦しみを描いた、痛い青春物語なのです。



狩野と陸はお互いの中に理想の「自分」を見ている。
根源は自己愛であって、単純に恋愛関係にはなれない。
ふたりでいると喜びは倍になり、苦しみも倍になる。
お互いがお互いに、どうしても過剰反応してしまう運命。


狩野を有望な小説家として、無数の夢を見せる美しい少女として愛する、
評論家の日夏は、そのままいけば二人がどうなるか、
最初からわかっていたのだが……


syounen3.jpg





……結末は知ってるのに、
今回改めて読み返して、
やはり飛び降りのシーンは心臓が縮む感じがします。




……若いってバカだ。
でもこの真摯な若さのバカを、ここまできっちり描けるってすごい。

そしてその若さによる暴走をずっと愛しく見守っていた日夏さんの、
一貫して冷静なシニカルさが、今になってみるとひどくいとおしいです。


syounen4.jpg

私 日夏雄高は
かねてより憧れていた
傷心旅行に出掛けます。

日夏邸 使用者へ
生ゴミはきちんと出しましょう。
 火・木曜日です。




子供の頃には何も感じず読み流したこの書き置きを、
切ないなあと感じたのは大人になってからでした。





そしてこの物語は、とても印象的なラストシーンを迎えます。
私の勝手な思い込みですが、
少女漫画トランスジェンダー伝統の最後を飾るに相応しい、
美しい解放的なシーンではないでしょうか。







ふり向くと

私の記憶から
とき放たれた夢の少年は

荒野をめざして
走ってゆくのだ

あの時
そうしようと
したように


何処までも



何処までも








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紺野キタ『Cotton』とのだめ24巻。

何度同じ話を読めば気が済むのか!
新装丁で未収録作品追加とか言われると、
やっぱり好きな作家の本は買ってしまう…

ゆれる少女の群像劇を描かせたら日本一の紺野キタ先生の、
新装版『Cotton』が幻冬舎から出ていたので買ってきてしまいました。


そしてやっぱり何度読んでも良いと思う…
いまどきの手足の長い、折れそうな骨格の美少女も良いですが、

一昔前の膝丈スカートを重そうに揺らす素朴な女学生も良いですね!
未収録作品が素晴らしかったのでやっぱり買ってよかった。



百合はやはり女性作家の描く、ニュアンス重視の方が好きです。
紺野キタ先生は、
古き良き時代の少女漫画の正当な継承者だと勝手に私は思っています。

ちょっとした視線の絡み合い、
ためらいがちに伸ばされる指先、
ふと訪れる沈黙の瞬間、
そっと唇を寄せた内緒話、

そんな何でもないことにドキマギします。


これでこそ!
これでこそなんですよ!

kita.jpg

長い髪の美少女が着ているのは純白なスリップドレスであるべきなのです。
そうなんです。
その美少女が独占欲が強い寂しがり屋の天邪鬼だったら
それは至高の宝石なのです。
異論は認めないです。
何とでも言え。



そんなわけで表題作『Cotton』も無論素晴らしいのですけれど、
より私の好みなのは最後に収録されている短編
「Under the rose」の方です。

母親が亡くなり、父の家に引き取られる葉月。
その家には腹違いの姉妹、桂(けい)が孤独に住んでいた。
母親にも父親にも省みられない生活。
学校では話しかけないで、とぴしゃりと言い放つ美しい桂。
学校では完全に無視され、
桂の取り巻きに嫌がらせを受ける葉月だが、
孤独な家の中では姉妹ふたり、そっと寄り添っている……

……たまりません。
桂の長い髪がさらさらと流れるだけでときめきます。

己の感情を持て余す思春期の少女の葛藤を、
繊細に丁寧に拾い上げる紺野キタ先生の優しい作風に、
うっとりと酔っちゃってください。



……そしてのだめ(デジャヴ)


なんだ続きが出るんじゃないですか前回なんてことを書いちゃったのか私ったら。
どうして最終回だなんて勘違いしたのかなあ何といっても人気絶頂なんだし、
共演なんてこれからこれから。
エントリー削除しなくちゃって感じ…………




…………番外編て。



番外編って。




どう受け止めればいいんですかインターバルがあってまたちゃんと本編になるんですか。
というかこれ別に本編扱いでいいじゃないですか、
わざわざ番外編って事はやっぱり物語は一回ENDついてるって解釈でいいのか。
わからないどう受け止めればいいのかわからない。
エマ?


……面白かったんでもうどうでもいいや。


懐かしいキャラクターがわんさか出てきて、楽しいです。
のだめが一番好きだった頃の空気で、読んでて嬉しくなってきます。
彩子さん元気かしら。




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赤城毅『書物法廷』

もうカテゴリに「講談社ノベルズ」って作ったほうがいいんじゃないのか。
我ながら頻度高すぎないか。

ル・シャスールシリーズの一作目、『書物狩人』も文庫化したことだし、
待ってれば文庫化することはわかっているんです。
前回のエントリーに書いたように、できる限り文庫で買おうと
日々自分に言い聞かせているのです。いるのですが。


我慢できなかったよ!


だって私、稀覯本をめぐる物語が大好きなので……


……同じような文章を何度も続けて書いてしまって大変申し訳ありません。
しかしながら!
しかしながら赤城毅先生は実際大学で講師経験もある元歴史学者
膨大な一次資料に裏打ちされた専門知識で以って、
書痴の皆様も必ずや大満足のペダントリィが迎えてくれます。
そのへんあっさりファンタジーで埋めたどこかの本とは違うよ!



手段の合法非合法を問わず、
必ず依頼された本を手に入れる「書物狩人」。
通称「ル・シャスール」(フランス語で狩人)と呼ばれる、
書物狩人の最高峰に位置する謎の男が主人公。
おそらく日本人だと思われるが、
国籍も年齢も本名も、その正体は何もかも不明。

中肉中背、記憶に残らない、美しくも醜くもない容貌。
しかし30前後と目されるその東洋人の髪は、
なぜか美しい銀髪である。
彼を突き動かすのは常に書物に対する美意識。
世に出れば政治や歴史を動かしかねない力を持つ、
書物の秘密――


――という設定でお馴染みの「ル・シャスール」シリーズ。
今回はその第三弾目、『書物法廷』でございます。

今回の本は自費出版の画集、
マフィアの首領が隠し続けた日記、
ポォ研究者の自費出版の研究書、
チャーチルの書き込みのある本。

……いずれも「(別段市場的には価値のない)自費出版」とか
「重要なのは本ではなく書き込みのほう」とか、

「実在する(かもしれない)稀覯本をめぐるミステリ」が読みたい私からすると、
前二作に比べ、いささかパンチの弱いラインナップであることは否めませんが、

それでもいきなりル・シャスールが独房に入ってたり、
とんでもない方向に話が広がっていく二重三重の展開は相変わらずで、

水戸黄門ばりのお約束でル・シャスールが勝つこともわかっているのに、
飽きずにぐいぐい引っ張られます。
それもこれも、作者の博覧強記と、上品な語り口と、本への愛情の賜物!


ここまで素晴らしいペダントリィに満ち満ちた、現実に即した物語となると、
私はキャラクターについている「銀髪」とか「レディ・B」全般に言えるフックは
むしろ物語に邪魔じゃないかな、もっと普通でいいんじゃないかな、
と常々思ってきたのですが、

今まで「美しくもなければ、醜くもない」と言いきってきたはずの
主人公ル・シャスールの容貌の描写が、
この三作目において、
「整っている」に変化しているじゃありませんか!


そしてまあ挿絵の彼の、とんでもない壮絶な美しさときたら……!
「記憶に残らない人」じゃなかったのか、なんだこの妖艶さ。

前作『書物迷宮』における挿絵は非常に漫画チックで、

物語世界と似合わないなあ、むしろ要らないな、
そんな絵より作中で扱われてる本や作家の写真でも載せとくべきだ、

と正直なところ考えていたので、
今回の「作中で言及されてる鳥の絵」とか、ポォやチャーチルの顔、
といった挿絵は大変素晴らしかったと思います。

しかしあの独房で微笑むル・シャスールの美しさからすると、
次回では彼の容貌について、
「目を引く美貌」まで書かないと釣り合いませんよ実際。

おかげで彼が作中でアルカイック・スマイルを浮かべるたびに、
私の頭の中で山岸涼子先生描くところの厩戸王子の顔が出てきます。
怖いよー



水戸黄門ばりと前述しましたがそもそもが短編集なので、
要するに人物紹介的に毎回同じ記述があるんです。

「その国の言葉で狩人を示す通称」でいいとか言いながら、
なんだかんだで最近はずっとフランス語読みさせるんだから、
もうその繰り返し要らなくない?

「なんとお呼びすれば?」
「ル・シャスールと」

でいいんじゃ? と思うんですが、どうなんでしょう。 

しかし微妙に容貌の記述が変わるように、またこの辺も変わってくるのかも。
そのうち日本語で「狩人」と呼ばれたら……
……あずさ2号で帰るのか。ダメかル・シャスールの美意識的に。



赤城先生のご専門はドイツ近代史だそうなので、
どうしても第二次大戦前後の話が多いのですが、
流石に三作目ともなると、正直
ま た ネ オ ナ チ か
という気持ちが沸いてくるのは否定できないところではあります。


稀覯本そのものについての薀蓄をもうちょっと聞きたいという
単なる私個人の好みの問題ではあるのですが、
せっかくドイツ語の一次資料をあたれる語学力をお持ちの先生ですから、
中世英雄叙事詩とか含めもっと昔の話題も今後出てきて欲しいなーと思うのですが、

よく考えたら中世叙事詩で国家転覆とか無理だからダメかル・シャスールの美意識的に。

でもいいです、またネオナチでもいいです、
実在する(かもしれない)稀覯本の話なら。


なんだミスター・クラウンて。


そもそもが偽書、実際は何の価値もない、ってオチが続くのだけはイヤです。
ええ単なる私の個人的好みからの我侭に過ぎないんですけど、
クラウン作の偽書でもいい、せめて本物はどこかにあって欲しい。

せっかくの膨大な情報からなるリアルな物語なのだから、
フックだらけのキャラクター対決ものにはなって欲しくないなあ、と
それだけが心配な今日この頃。



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コミカライズ『まほろ駅前多田便利軒』1巻

脳内安西先生のせいにした「今更これですか」レビュー第二弾。

三浦しをん先生の直木賞受賞作『まほろ駅前多田便利軒』を、
山田ユギ先生によって忠実にコミカライズした第一巻。



というかですね、私このコミックスの発売を心待ちにしていたのですが、
発売日に見つけられなかったんですよ行きつけの書店数店で。
発売延期になったんだなあとか勝手に納得してたんですよ。
最近多いからね私が待ってるコミックスの発売延期とかって。




まさかどこに行っても
BLコーナーに分類してあるとは思わなかったのでね!




ちがうもんちがうもんBLじゃないもの!!
一応直木賞受賞した原作なのに本屋さんひどい!
そりゃあ三浦しをんといえば『月魚』を筆頭にそういう匂い強い作家さんだし、
山田ユギと言えばBL黎明期からずっと第一線のエースBL作家さんだし、
あれ?
本屋さん悪くなくね?




……まあそんなわけで誤解を生みがちなタッグなわけですが、
大変良いコミカライズだったので一応、
「BLじゃないよ!」
と言うためにとりあげてみました。



単に収納の問題から、できるだけ小説は文庫で買うんだぞ私! と
日々自分の理性に言い聞かせているにもかかわらず(まあ割と負けますが)、
私が発売とほぼ同時に原作を上製本で買ってしまったのは、

本格ミステリを前にすると理性を失う私が、

出版社の枠を超えて例の「まほろ市ミステリシリーズ」が始まったのか?
三浦しをん本格ミステリデビューか?

誤解したからだったのも、今となってはいい思い出です。
いい思い出と笑えるのは、
ミステリではなかったけど、私好みの内容だったおかげですが。

じゃあもう「まほろ市」は「ネズミーランド」みたいなもんでよくね?


そんなわけで一瞬
「あれ? まほろ市って実在してるっけ?」
と考え込んでしまった…
そんな人割といるんじゃないでしょうか。
いなくても特に気にせず生きていきますが。


先に小説を気に入って精読しまくったあとに映像化と言うと、
どうしても自分の脳内の漠然とした理想像と比較してしまうから、
それが二次でも三次でも、
「違うんだこのシーンはこういうカメラワークで見たかったんだ」
「なんでこのエピソード削ったし!」
「キャラクターがイメージ違うよぅ」
などなど、つまらないことがひとつひとつ気になってしまい、
不当に低く評価してしまうのは世の常です。

しかしその不当な高いハードルを悠々と飛び越え、
「すごい! すごいよこれ、ドンピシャだ!」
となったのが今回の山田ユギ先生によるコミカライズ。

誰が決めたか知らないが、人選した人とは友達になりたいです。
向こうの方でお断りなのは重々承知してます。


表紙を見ただけでキャラクターデザインが個人的にどストライク。
原作に忠実な台詞、丁寧なエピソードの消費、
きちんと描かれた背景の生活感、
主人公たちの表情に見える哀愁、それでも忘れないユーモア、
どれをとっても素晴らしい。

このシーンに一ページ丸ごと使ったコマ割のセンスとか!

mahoro.jpg

これを見た瞬間にこのコミックスは傑作になると思いました。
まだ完結してないので気が早いよと言われても。


基本原作に忠実なんですが、
原作ではもっといろいろ迂回しなくてはならなかった
犬の飼い主までたどり着く流れがコミックスではうまくコンパクトにされてたり、
マンガとしてテンポがよく、
あまりにも山田ユギ作品の空気と嵌っていて、

割と原作に忠実に映像化されたものは、
テンポがどうにもそのメディアとは嵌ってなかったり、
妙によそよそしい感じが漂ったりすることも多い中、
まるで原作者の存在を感じさせない山田ユギのコンテセンス、
天才じゃないですかこの人。


原作を咀嚼し、きっちり自分の血肉にしたんだなあ、と
コミックス収録の「おまけ」を読むとよくわかります。
なんだか原作でこの番外編を読んだことがあるような気さえして、
慌てて原作を読み返したくらいです。


このルルなんていかにも原作に出てきそうじゃないですか?

ruru.jpg

行天の浮世離れしたつかみ所のない感じ、
多田の時折見せる哀愁漂う淡白な諦観。

「いろいろ疲れたけどでもなんとかやってる」大人の男を
色っぽく描くのは天下一品の山田先生が、
この難しいキャラクターをとても魅力的に描いてくれていて、
原作ファンも満足の一冊だと思います。

まだまだBLコーナーに分類されてることが多いけど!
是非未読の原作ファンは読んでみて欲しいです。




ところで話のついでですが、
三浦しをん著『月魚』といえば、
あの作中のふたりについて

「とっくに肉体関係持ってるけどお互いの感情を探り合ってる臆病同士」
と読むか、
「お互いの感情に踏み込めず、無論肉体関係もない臆病同士」
と読むか、どちらだと思います?

私は後者で読んでいたんですが、そうすると意味がつかめなくなる台詞があるよね……?
いやでもなあ……どうでしょう?
(結局BL的な話題で終わるのもどうなのか)


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ジェラルディン・ブルックス『古書の来歴』

さて体調だの仕事だの言い訳にしつつブログが開店休業の間、
それでもこのダメ人間は本屋には行かないと死んじゃうんです。

脳内安西先生が「諦めたら試合終了だよ」と言うので、
発売から時間経っちゃったけど面白かったとか
いろいろ言いたいぜとかいう本を、
諦めずに遅ればせながら
書ける時にガンガンレビュー書いちゃうことにしました。

……本当にガンガン書いていけるといいなあ。すでに弱気


さて私は稀覯本をめぐる物語が大好きなのです。
そこにミステリ要素があれば言うことありません。
この世で一番素晴らしい男性は荒俣宏先生だと公言して憚らない。

何の予備知識もなかったけれど、だから書店で見かけて、
このタイトルに惹かれたわけですよ。

『古書の来歴』。

なんという地味な、でもなんと端正で胸躍るタイトル。
曰くつきの本にまつわる物語ですよこれは!
という匂いが真正面から来るじゃないですか。

そしてこの本、装丁がとても美しい。
もちろん、稀覯本は装丁が美しくなければね。いやこの本は普通に流通してるけど。

さてどんな本かな、とまず帯を読む。

100年ものあいだ行方が知れなかった
稀覯本「サラエボ・ハガター」が発見された――
連絡を受けた古書鑑定家のハンナは、
すぐさまサラエボに向かうが……

実在する稀覯本と、
その本を手にした人々の数奇な運命
ピューリッツァー賞作家が描く歴史ミステリ!


この帯の煽りを読んでもう胸がときめいてときめいて、
すぐさまレジに向かったわけですよ。

胸がときめきすぎてすっかり見落としていたわけですよ、
この美しいタイトル『古書の来歴』の原題が、

「People of the Book」

って書いてあることに。


このしょうもない原題に気づいていれば、
もしかしたら私はレジに行かなかったかもしれない……



さて何が言いたくて書き始めたかと言うとまず



100年行方知れずって大嘘じゃねーか帯! 
責任者出て来い!




サラエボ・ハガターが行方不明になったのは1992年だ、と
読み始めるといきなり作中にあります。どういうことでしょうか。
ちなみに作中時間はその時点で1996年。
100年の謎に酔おうと思っていた出鼻をいきなり挫かれます。気をつけろ!

あらすじを書いた人がどうしてそんな勘違いをしたのかわからないけれど、
件の稀覯本サラエボ・ハガターは
1894年にサラエボの博物館に売られた
のであり、
むしろその後100年間、第二次大戦の一時期以外
行方は博物館だとハッキリしていたのであり、
台無しです。


しかしこれは作者が意図した詐欺ではないし、
稀覯本をめぐる物語には違いないのだから、と
気を取り直して読み進めることにしましょう。


そもそも「サラエボ・ハガター」とは何ぞや。


ハガターとはユダヤ教の教えの書のひとつ。
「サラエボ・ハガター」が有名になったのは、
このハガターには細密画が多数挿入されていたから。

ユダヤ教は偶像崇拝を禁じているので、
挿画のあるハガターというのは世にも珍しい、歴史を変える本なのですね。
しかもこの本が作られたのはおそらく500年前



……大丈夫、オラ気を取り直してワクワクしてきたぞ。


主人公ハンナはオーストラリア人の古書保存修復家何故帯は鑑定家と書いたのか)。
母子家庭で育ち女医の母親に複雑な感情を抱いている。
ボスニア紛争で行方不明になったハガターが発見され、
その修復のために、政治的配慮から第三国のハンナがサラエボに行くことに。

ハンナは修復の過程で、このハガターの装丁が一度壊されていることに気づく。
何かの羽や白い毛、結晶、何かの染みを見つけ、それを科学的解析にかける。
そしてこの500年、このハガターがどれほど過酷な運命を乗り越えてきたかを知る――


――という筋書きですが、「知る」のは読者であってハンナには何もわかりません。
ハンナが何か手がかりを見つけるたびに
章が変わり、過去の時代の別の物語が挿入され、
その「手がかり」がどうしてそのハガターに付随したかを読者だけが知る、
という構成なんですが、


それはミステリか?


歴史ミステリと銘打つならば、
もうちょっと近代的な捜査によって判明するカタルシスがあってもいいのではないか?
この「過去の出来事」は
ただの時代背景に即した作者のファンタジーだ。
何の根拠もない。


と思うのですが、こちとら生粋の八百万の神の国の人間、
一神教をめぐる終わらない対立と差別の歴史は、
エキゾチックでスペクタクルな物語として興味深く読んでしまうのは否めない。
そういう意味では面白く読めますよ。



しかしちゃんと面白く読めるのに、
100年の謎とか歴史ミステリとか
なんで角の立つ煽り方をしたのかランダムハウス講談社
それはね、私みたいな人間を引っ掛けるためだよ! こんちくしょう!
第二のダン・ブラウン発掘とかそういう感じでやりたかったのだろうか?

とうわけでまったく帯の情報は信用できないわけですが、
その問題な帯に

キャサリン・ゼタ・ジョーンズが映画化権取得!

とあります。


まあメリケン人がやたらと映画化権を取得だけしたがるのは周知の事実ですが、
これはネタがユダヤ教なうえにものすごいフェミ臭のする作りなので、
向こうでスポンサーはカンタンに見つかりそうだから映画化しても驚かない。


何しろハンナは母子家庭、母は有能な女医、
もうお互いいい歳なんだから落ち着けばいいのに
まるで傷つきたがりのティーンエイジャーのように
お互い相手に傷ついたー傷ついたーと喚いていて見苦しい。
権利だ自由だと自分のことばかり叫び、相手のためにとは考えない。

この母子の関係を延々と読まされるんですが
古書修復の本筋とは関係なく、
しかも和解もしやがらないので大変読んでて気が滅入ります。

女性の自由ってそういうことなのか? 
私も女だけどうんざりしますよ。

出てくる現代の登場人物は全員ホワイトカラーで
男はイケメンインテリで全員ハンナをチヤホヤし、
それをハンナは付き合ったり振ったり、
……ハーレクインかこれは、作者のドリーム投影かハンナは、と
この点でも私はうんざり。

でも、好きそうでしょそういうの、ハリウッド。



読んでみようと思った方に、ちょっと老婆心ながら注意点。


読書のときに政治的問題を感情に反映させるのはやめよう、
ニュートラルに読もう、と思うのですが、
それでも私も思わず本を閉じたので、
きっと大多数の日本人は、以下のくだりに一瞬感情が沸騰すると思います。
40頁。改行は私。↓


「きみはオーストラリア人だそうだね」とオズレンは言った。
私はため息を押し殺した。
丸一日仕事に没頭したせいでまだ気持ちが高揚していて、
世間話をする気分ではなかった。

「あんなに若い国の人が、よその国の大昔の宝物の面倒を見るなんて、
なんだか妙な気がするよ」
私が答えないと、オズレンはさらに言った。

「そういう国で育ったから、かえって、文化的なものに飢えてるのかな?」

すでに無礼な態度を取っていたので、
今度はそうならないように努力することにした。
といっても、ほんのわずかな努力だが。

若い国だから文化がないという考えは前時代的なものだ。
オーストラリアには世界のどの国にもひけを取らないほど
古くから引き継がれてきた芸術がある。

オーストラリアの先住民アボリジニは、
ラスコーで人類が初めて絵筆を手にして何を描こうか思い悩むよりはるか以前、
つまり三万年ほどまえから、
住居である洞穴の壁に洗練された絵を描きつづけてきたのだ。




……なんで怒るのかわからない人はこのへんを熟読してきてください。




ただ最後まで読むと、
つまりハンナ――というか作者――が目指してるのは
あらゆる人種と宗教が交じり合い平和に共存する社会であるとわかり、
ハンナはアボリジニ芸術の保存の仕事をするようになります。
なりゆきですがね。この発言の時点でしてれば腹も立てなかったのに!

ただそう思って本を読み終えた後
「作者の来歴」で、息子の名前を見て
「ああ…そういうこと…」と思っちゃうんですけどね。
結局ね。


いずれにせよなんというか
全体的に左翼主義フェミ女性のファンタジー。

設定や展開や着眼点が素晴らしく、面白い試みだっただけに、
そういう部分が漂ってくる点だけは、私の好みには合わなくて残念。
でも、そういうのが好きな人もたくさんいると思うので、そういう方は是非。




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Gファンタジー5月号感想文。

ごめん遅れた。
みんな黄砂のせいなんです多分。

体調も何とか整いつつあるのでもうちょっとレビュー書きたいです安西先生。


以下ネタバレ含みます↓

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Gファンタジー4月号感想文。

なんだか休みが来るたびに体調を崩すものだから、全然更新が出来てません。
今もおなかがやたらと痛いけどこれだけは最低限やらねばと無駄な使命感を持ちつつ
以下ネタバレ含みます。

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汀こるもの『完全犯罪研究部』

THANATOSシリーズの刊行が
これから少しゆっくりめになるのかなとか書いたら、
新作来ました。予想外。

表紙からして本格ミステリでなくて
ライトノベル臭がすごくするので、
どうしようかと思ったのですが、

なんとなく習慣で巻末の「参考資料一覧」だけ立ち読みしたら、
買わざるを得なくなったのでした。

そこにあったのは珍しく、たった一冊の書名だけ。



『カルバニア物語』。




いや買うでしょう、買うでしょうそれは。
どういうふうに作中で扱われているのかとドキドキして読んだんですが、

違うよ杉野さんカルバニアはBLじゃないよ主役ふたり女の子じゃないか。
古賀君は「BLを貸してくれ」と言ったのになんでカルバニアなんだ、

長野まゆみ読んでるくせによくわからないとか言わせないぞ――!!

由利先生が「どこがBLだ」と心の中だけとはいえ突っ込んでくれたので、まあいいです。
今はもうまごうことなきBLレーベルだから、
カルバニアの連載当初はBL専門誌じゃなかったんだというのはなかなか通用しないのですね…


というわけで読みました『完全犯罪研究部』

舞台は東京近郊地方都市の高校、語り手は化学教師の由利千早
プライベートでいろいろある由利先生は現在、『推理小説研究部』の顧問。
しかしその実態は、『完全犯罪研究部』。
恐るべき子供たちが、悪人を始末するために日夜調査と会議を続けている…

それもこれも変なスキルと知識を持ったミステリマニアの巣窟に、
「姉を殺した犯人を見つけて復讐したい」杉野と、
「誰でもいいから人を殺したい」古賀が入ってきたから。

はたして由利先生は彼らの暴走を止めることができるのか、
はたして由利先生は道を踏み外さずにいられるのか、
というか由利先生はすでにいろいろと大丈夫なのか、
一体古賀は何者なのか、
杉野の言動はどこまで「本当」なのか。

設定や展開はミステリ風味ですが
最後の犯人当てに必要なデータの出し方がアンフェアなので、
本格ミステリではありません。

夢見がちで暴走しがちな彼らの、ピカレスク…とまではいかない、
いろんな意味で痛い青春群像劇です。


いまどきの青春物語を描くなら外せないのかもしれませんが、
相変わらずネットの流行語満載の「汀節」なので、
THANATOSシリーズとあまり差異なく読み進められるなあと思っていると、

序盤で「立花せいじゅ」の名前が出てきてびっくり。

後半に真樹と月乃が出てきて二度びっくり。

ラストではさらにいろいろびっくり。

「THANATOSじゃないならいいや」と思っている人がいるのなら、
いやダメだ読んでおけ とだけ伝えたい。



以下ネタバレ含みます。








『完全犯罪研究部』に登場するある人物が、
THANATOSでいまだ詳細が語られないある事件の関係者で、
最後にその人から当時の一部の話が聞けます。

そもそもこの話はTHANATOSの『まごころを、君に』の頃の話で、
そちらを読んでいないと理解できない箇所があったりします。

それにしても本シリーズでは悪魔だの冷血だの機械人形だの言われる真樹が、
よその物語では「やさしい人」だと評されているのは泣けてきます(笑)。

というわけでどうしても読後にTHANATOSを精読したくなるつくりなのですが、
そこで名前を思い出し、ああ、なるほどと気がついて、
……いやちょっとまてじゃあ上のってのが例の……新橋の……
……いやじゃあ時系列からいってそのあともご学友って……

……真樹が構わないといえば通るんだろうけれども。


ちらっとゲスト出演レベルの出番で、ものすごい存在感を示す真樹ですが、
THANATOSの人々はもう後戻りの出来ない「本物」で、
『完全犯罪研究部』の面々は後戻りが出来る人々だと思えば、
むしろ真樹の際立ちぶりは物語において「救い」なのでしょう。

ときに逸脱が美に見えても、「普通」が選べるならその方がいい。
カルバニアを読んで古賀が漏らした一言は、己に帰る刃だったんだなあ、と。

THANATOSの読後では味わえない「普通」に着地する安堵感。

『赤の女王の名の下に』の巫女(笑)よりは同情できなくもないけれど、
杉野の中でこのはっちゃけた青春が、
身悶えするほどの恥ずかしい黒歴史になる日はいつかな、と
意地悪く笑うのは、
今、この愚かしくも輝かしい青春の中にいない大人読者の、唯一の特権でしょうか。


さて。


真樹の記憶力はやはりなにか明確な問題がある?
彼自身が自覚してるからデジタルデータに依存しようとするわけだろうし。
美樹と真樹が食い違ったときはメンヘラの方が分が悪いけれど、
実はずっと正しいのは美樹だったのだと、ここで確信することになるとは。

いやもちろん薄々気がついてはいたのですよ。
しかし確信して読み返すと、
『パラダイス・クローズド』
愛について語る美樹の切ないことと言ったら。

ミキちゃんと呼ばれ真樹のただひとりの大事な人として尽くされる、
それをあんなふうに疑うなんてと初読当時はちょっと思ったものですが、

巻数を重ねて、今回の話を考慮に入れ、真樹の記憶に問題があると確信すると。
美樹の不安に同調して、真樹を見てるのが怖くなります。

だってそれなら「ミキちゃん」は瑞樹のことじゃないか。

真樹の失った、あるいは摩り替えた「瑞樹の記憶」が正された時、
立花家の双子はどうなっちゃうのでしょうか。

ストックが尽きたので刊行が遅くなるかもとか言ってる場合じゃない。
早くTHANATOSの続きを読ませてください
と言わざるを得ない。


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