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赤城毅『書物法廷』

もうカテゴリに「講談社ノベルズ」って作ったほうがいいんじゃないのか。
我ながら頻度高すぎないか。

ル・シャスールシリーズの一作目、『書物狩人』も文庫化したことだし、
待ってれば文庫化することはわかっているんです。
前回のエントリーに書いたように、できる限り文庫で買おうと
日々自分に言い聞かせているのです。いるのですが。


我慢できなかったよ!


だって私、稀覯本をめぐる物語が大好きなので……


……同じような文章を何度も続けて書いてしまって大変申し訳ありません。
しかしながら!
しかしながら赤城毅先生は実際大学で講師経験もある元歴史学者
膨大な一次資料に裏打ちされた専門知識で以って、
書痴の皆様も必ずや大満足のペダントリィが迎えてくれます。
そのへんあっさりファンタジーで埋めたどこかの本とは違うよ!



手段の合法非合法を問わず、
必ず依頼された本を手に入れる「書物狩人」。
通称「ル・シャスール」(フランス語で狩人)と呼ばれる、
書物狩人の最高峰に位置する謎の男が主人公。
おそらく日本人だと思われるが、
国籍も年齢も本名も、その正体は何もかも不明。

中肉中背、記憶に残らない、美しくも醜くもない容貌。
しかし30前後と目されるその東洋人の髪は、
なぜか美しい銀髪である。
彼を突き動かすのは常に書物に対する美意識。
世に出れば政治や歴史を動かしかねない力を持つ、
書物の秘密――


――という設定でお馴染みの「ル・シャスール」シリーズ。
今回はその第三弾目、『書物法廷』でございます。

今回の本は自費出版の画集、
マフィアの首領が隠し続けた日記、
ポォ研究者の自費出版の研究書、
チャーチルの書き込みのある本。

……いずれも「(別段市場的には価値のない)自費出版」とか
「重要なのは本ではなく書き込みのほう」とか、

「実在する(かもしれない)稀覯本をめぐるミステリ」が読みたい私からすると、
前二作に比べ、いささかパンチの弱いラインナップであることは否めませんが、

それでもいきなりル・シャスールが独房に入ってたり、
とんでもない方向に話が広がっていく二重三重の展開は相変わらずで、

水戸黄門ばりのお約束でル・シャスールが勝つこともわかっているのに、
飽きずにぐいぐい引っ張られます。
それもこれも、作者の博覧強記と、上品な語り口と、本への愛情の賜物!


ここまで素晴らしいペダントリィに満ち満ちた、現実に即した物語となると、
私はキャラクターについている「銀髪」とか「レディ・B」全般に言えるフックは
むしろ物語に邪魔じゃないかな、もっと普通でいいんじゃないかな、
と常々思ってきたのですが、

今まで「美しくもなければ、醜くもない」と言いきってきたはずの
主人公ル・シャスールの容貌の描写が、
この三作目において、
「整っている」に変化しているじゃありませんか!


そしてまあ挿絵の彼の、とんでもない壮絶な美しさときたら……!
「記憶に残らない人」じゃなかったのか、なんだこの妖艶さ。

前作『書物迷宮』における挿絵は非常に漫画チックで、

物語世界と似合わないなあ、むしろ要らないな、
そんな絵より作中で扱われてる本や作家の写真でも載せとくべきだ、

と正直なところ考えていたので、
今回の「作中で言及されてる鳥の絵」とか、ポォやチャーチルの顔、
といった挿絵は大変素晴らしかったと思います。

しかしあの独房で微笑むル・シャスールの美しさからすると、
次回では彼の容貌について、
「目を引く美貌」まで書かないと釣り合いませんよ実際。

おかげで彼が作中でアルカイック・スマイルを浮かべるたびに、
私の頭の中で山岸涼子先生描くところの厩戸王子の顔が出てきます。
怖いよー



水戸黄門ばりと前述しましたがそもそもが短編集なので、
要するに人物紹介的に毎回同じ記述があるんです。

「その国の言葉で狩人を示す通称」でいいとか言いながら、
なんだかんだで最近はずっとフランス語読みさせるんだから、
もうその繰り返し要らなくない?

「なんとお呼びすれば?」
「ル・シャスールと」

でいいんじゃ? と思うんですが、どうなんでしょう。 

しかし微妙に容貌の記述が変わるように、またこの辺も変わってくるのかも。
そのうち日本語で「狩人」と呼ばれたら……
……あずさ2号で帰るのか。ダメかル・シャスールの美意識的に。



赤城先生のご専門はドイツ近代史だそうなので、
どうしても第二次大戦前後の話が多いのですが、
流石に三作目ともなると、正直
ま た ネ オ ナ チ か
という気持ちが沸いてくるのは否定できないところではあります。


稀覯本そのものについての薀蓄をもうちょっと聞きたいという
単なる私個人の好みの問題ではあるのですが、
せっかくドイツ語の一次資料をあたれる語学力をお持ちの先生ですから、
中世英雄叙事詩とか含めもっと昔の話題も今後出てきて欲しいなーと思うのですが、

よく考えたら中世叙事詩で国家転覆とか無理だからダメかル・シャスールの美意識的に。

でもいいです、またネオナチでもいいです、
実在する(かもしれない)稀覯本の話なら。


なんだミスター・クラウンて。


そもそもが偽書、実際は何の価値もない、ってオチが続くのだけはイヤです。
ええ単なる私の個人的好みからの我侭に過ぎないんですけど、
クラウン作の偽書でもいい、せめて本物はどこかにあって欲しい。

せっかくの膨大な情報からなるリアルな物語なのだから、
フックだらけのキャラクター対決ものにはなって欲しくないなあ、と
それだけが心配な今日この頃。



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ジェラルディン・ブルックス『古書の来歴』

さて体調だの仕事だの言い訳にしつつブログが開店休業の間、
それでもこのダメ人間は本屋には行かないと死んじゃうんです。

脳内安西先生が「諦めたら試合終了だよ」と言うので、
発売から時間経っちゃったけど面白かったとか
いろいろ言いたいぜとかいう本を、
諦めずに遅ればせながら
書ける時にガンガンレビュー書いちゃうことにしました。

……本当にガンガン書いていけるといいなあ。すでに弱気


さて私は稀覯本をめぐる物語が大好きなのです。
そこにミステリ要素があれば言うことありません。
この世で一番素晴らしい男性は荒俣宏先生だと公言して憚らない。

何の予備知識もなかったけれど、だから書店で見かけて、
このタイトルに惹かれたわけですよ。

『古書の来歴』。

なんという地味な、でもなんと端正で胸躍るタイトル。
曰くつきの本にまつわる物語ですよこれは!
という匂いが真正面から来るじゃないですか。

そしてこの本、装丁がとても美しい。
もちろん、稀覯本は装丁が美しくなければね。いやこの本は普通に流通してるけど。

さてどんな本かな、とまず帯を読む。

100年ものあいだ行方が知れなかった
稀覯本「サラエボ・ハガター」が発見された――
連絡を受けた古書鑑定家のハンナは、
すぐさまサラエボに向かうが……

実在する稀覯本と、
その本を手にした人々の数奇な運命
ピューリッツァー賞作家が描く歴史ミステリ!


この帯の煽りを読んでもう胸がときめいてときめいて、
すぐさまレジに向かったわけですよ。

胸がときめきすぎてすっかり見落としていたわけですよ、
この美しいタイトル『古書の来歴』の原題が、

「People of the Book」

って書いてあることに。


このしょうもない原題に気づいていれば、
もしかしたら私はレジに行かなかったかもしれない……



さて何が言いたくて書き始めたかと言うとまず



100年行方知れずって大嘘じゃねーか帯! 
責任者出て来い!




サラエボ・ハガターが行方不明になったのは1992年だ、と
読み始めるといきなり作中にあります。どういうことでしょうか。
ちなみに作中時間はその時点で1996年。
100年の謎に酔おうと思っていた出鼻をいきなり挫かれます。気をつけろ!

あらすじを書いた人がどうしてそんな勘違いをしたのかわからないけれど、
件の稀覯本サラエボ・ハガターは
1894年にサラエボの博物館に売られた
のであり、
むしろその後100年間、第二次大戦の一時期以外
行方は博物館だとハッキリしていたのであり、
台無しです。


しかしこれは作者が意図した詐欺ではないし、
稀覯本をめぐる物語には違いないのだから、と
気を取り直して読み進めることにしましょう。


そもそも「サラエボ・ハガター」とは何ぞや。


ハガターとはユダヤ教の教えの書のひとつ。
「サラエボ・ハガター」が有名になったのは、
このハガターには細密画が多数挿入されていたから。

ユダヤ教は偶像崇拝を禁じているので、
挿画のあるハガターというのは世にも珍しい、歴史を変える本なのですね。
しかもこの本が作られたのはおそらく500年前



……大丈夫、オラ気を取り直してワクワクしてきたぞ。


主人公ハンナはオーストラリア人の古書保存修復家何故帯は鑑定家と書いたのか)。
母子家庭で育ち女医の母親に複雑な感情を抱いている。
ボスニア紛争で行方不明になったハガターが発見され、
その修復のために、政治的配慮から第三国のハンナがサラエボに行くことに。

ハンナは修復の過程で、このハガターの装丁が一度壊されていることに気づく。
何かの羽や白い毛、結晶、何かの染みを見つけ、それを科学的解析にかける。
そしてこの500年、このハガターがどれほど過酷な運命を乗り越えてきたかを知る――


――という筋書きですが、「知る」のは読者であってハンナには何もわかりません。
ハンナが何か手がかりを見つけるたびに
章が変わり、過去の時代の別の物語が挿入され、
その「手がかり」がどうしてそのハガターに付随したかを読者だけが知る、
という構成なんですが、


それはミステリか?


歴史ミステリと銘打つならば、
もうちょっと近代的な捜査によって判明するカタルシスがあってもいいのではないか?
この「過去の出来事」は
ただの時代背景に即した作者のファンタジーだ。
何の根拠もない。


と思うのですが、こちとら生粋の八百万の神の国の人間、
一神教をめぐる終わらない対立と差別の歴史は、
エキゾチックでスペクタクルな物語として興味深く読んでしまうのは否めない。
そういう意味では面白く読めますよ。



しかしちゃんと面白く読めるのに、
100年の謎とか歴史ミステリとか
なんで角の立つ煽り方をしたのかランダムハウス講談社
それはね、私みたいな人間を引っ掛けるためだよ! こんちくしょう!
第二のダン・ブラウン発掘とかそういう感じでやりたかったのだろうか?

とうわけでまったく帯の情報は信用できないわけですが、
その問題な帯に

キャサリン・ゼタ・ジョーンズが映画化権取得!

とあります。


まあメリケン人がやたらと映画化権を取得だけしたがるのは周知の事実ですが、
これはネタがユダヤ教なうえにものすごいフェミ臭のする作りなので、
向こうでスポンサーはカンタンに見つかりそうだから映画化しても驚かない。


何しろハンナは母子家庭、母は有能な女医、
もうお互いいい歳なんだから落ち着けばいいのに
まるで傷つきたがりのティーンエイジャーのように
お互い相手に傷ついたー傷ついたーと喚いていて見苦しい。
権利だ自由だと自分のことばかり叫び、相手のためにとは考えない。

この母子の関係を延々と読まされるんですが
古書修復の本筋とは関係なく、
しかも和解もしやがらないので大変読んでて気が滅入ります。

女性の自由ってそういうことなのか? 
私も女だけどうんざりしますよ。

出てくる現代の登場人物は全員ホワイトカラーで
男はイケメンインテリで全員ハンナをチヤホヤし、
それをハンナは付き合ったり振ったり、
……ハーレクインかこれは、作者のドリーム投影かハンナは、と
この点でも私はうんざり。

でも、好きそうでしょそういうの、ハリウッド。



読んでみようと思った方に、ちょっと老婆心ながら注意点。


読書のときに政治的問題を感情に反映させるのはやめよう、
ニュートラルに読もう、と思うのですが、
それでも私も思わず本を閉じたので、
きっと大多数の日本人は、以下のくだりに一瞬感情が沸騰すると思います。
40頁。改行は私。↓


「きみはオーストラリア人だそうだね」とオズレンは言った。
私はため息を押し殺した。
丸一日仕事に没頭したせいでまだ気持ちが高揚していて、
世間話をする気分ではなかった。

「あんなに若い国の人が、よその国の大昔の宝物の面倒を見るなんて、
なんだか妙な気がするよ」
私が答えないと、オズレンはさらに言った。

「そういう国で育ったから、かえって、文化的なものに飢えてるのかな?」

すでに無礼な態度を取っていたので、
今度はそうならないように努力することにした。
といっても、ほんのわずかな努力だが。

若い国だから文化がないという考えは前時代的なものだ。
オーストラリアには世界のどの国にもひけを取らないほど
古くから引き継がれてきた芸術がある。

オーストラリアの先住民アボリジニは、
ラスコーで人類が初めて絵筆を手にして何を描こうか思い悩むよりはるか以前、
つまり三万年ほどまえから、
住居である洞穴の壁に洗練された絵を描きつづけてきたのだ。




……なんで怒るのかわからない人はこのへんを熟読してきてください。




ただ最後まで読むと、
つまりハンナ――というか作者――が目指してるのは
あらゆる人種と宗教が交じり合い平和に共存する社会であるとわかり、
ハンナはアボリジニ芸術の保存の仕事をするようになります。
なりゆきですがね。この発言の時点でしてれば腹も立てなかったのに!

ただそう思って本を読み終えた後
「作者の来歴」で、息子の名前を見て
「ああ…そういうこと…」と思っちゃうんですけどね。
結局ね。


いずれにせよなんというか
全体的に左翼主義フェミ女性のファンタジー。

設定や展開や着眼点が素晴らしく、面白い試みだっただけに、
そういう部分が漂ってくる点だけは、私の好みには合わなくて残念。
でも、そういうのが好きな人もたくさんいると思うので、そういう方は是非。




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汀こるもの『完全犯罪研究部』

THANATOSシリーズの刊行が
これから少しゆっくりめになるのかなとか書いたら、
新作来ました。予想外。

表紙からして本格ミステリでなくて
ライトノベル臭がすごくするので、
どうしようかと思ったのですが、

なんとなく習慣で巻末の「参考資料一覧」だけ立ち読みしたら、
買わざるを得なくなったのでした。

そこにあったのは珍しく、たった一冊の書名だけ。



『カルバニア物語』。




いや買うでしょう、買うでしょうそれは。
どういうふうに作中で扱われているのかとドキドキして読んだんですが、

違うよ杉野さんカルバニアはBLじゃないよ主役ふたり女の子じゃないか。
古賀君は「BLを貸してくれ」と言ったのになんでカルバニアなんだ、

長野まゆみ読んでるくせによくわからないとか言わせないぞ――!!

由利先生が「どこがBLだ」と心の中だけとはいえ突っ込んでくれたので、まあいいです。
今はもうまごうことなきBLレーベルだから、
カルバニアの連載当初はBL専門誌じゃなかったんだというのはなかなか通用しないのですね…


というわけで読みました『完全犯罪研究部』

舞台は東京近郊地方都市の高校、語り手は化学教師の由利千早
プライベートでいろいろある由利先生は現在、『推理小説研究部』の顧問。
しかしその実態は、『完全犯罪研究部』。
恐るべき子供たちが、悪人を始末するために日夜調査と会議を続けている…

それもこれも変なスキルと知識を持ったミステリマニアの巣窟に、
「姉を殺した犯人を見つけて復讐したい」杉野と、
「誰でもいいから人を殺したい」古賀が入ってきたから。

はたして由利先生は彼らの暴走を止めることができるのか、
はたして由利先生は道を踏み外さずにいられるのか、
というか由利先生はすでにいろいろと大丈夫なのか、
一体古賀は何者なのか、
杉野の言動はどこまで「本当」なのか。

設定や展開はミステリ風味ですが
最後の犯人当てに必要なデータの出し方がアンフェアなので、
本格ミステリではありません。

夢見がちで暴走しがちな彼らの、ピカレスク…とまではいかない、
いろんな意味で痛い青春群像劇です。


いまどきの青春物語を描くなら外せないのかもしれませんが、
相変わらずネットの流行語満載の「汀節」なので、
THANATOSシリーズとあまり差異なく読み進められるなあと思っていると、

序盤で「立花せいじゅ」の名前が出てきてびっくり。

後半に真樹と月乃が出てきて二度びっくり。

ラストではさらにいろいろびっくり。

「THANATOSじゃないならいいや」と思っている人がいるのなら、
いやダメだ読んでおけ とだけ伝えたい。



以下ネタバレ含みます。








『完全犯罪研究部』に登場するある人物が、
THANATOSでいまだ詳細が語られないある事件の関係者で、
最後にその人から当時の一部の話が聞けます。

そもそもこの話はTHANATOSの『まごころを、君に』の頃の話で、
そちらを読んでいないと理解できない箇所があったりします。

それにしても本シリーズでは悪魔だの冷血だの機械人形だの言われる真樹が、
よその物語では「やさしい人」だと評されているのは泣けてきます(笑)。

というわけでどうしても読後にTHANATOSを精読したくなるつくりなのですが、
そこで名前を思い出し、ああ、なるほどと気がついて、
……いやちょっとまてじゃあ上のってのが例の……新橋の……
……いやじゃあ時系列からいってそのあともご学友って……

……真樹が構わないといえば通るんだろうけれども。


ちらっとゲスト出演レベルの出番で、ものすごい存在感を示す真樹ですが、
THANATOSの人々はもう後戻りの出来ない「本物」で、
『完全犯罪研究部』の面々は後戻りが出来る人々だと思えば、
むしろ真樹の際立ちぶりは物語において「救い」なのでしょう。

ときに逸脱が美に見えても、「普通」が選べるならその方がいい。
カルバニアを読んで古賀が漏らした一言は、己に帰る刃だったんだなあ、と。

THANATOSの読後では味わえない「普通」に着地する安堵感。

『赤の女王の名の下に』の巫女(笑)よりは同情できなくもないけれど、
杉野の中でこのはっちゃけた青春が、
身悶えするほどの恥ずかしい黒歴史になる日はいつかな、と
意地悪く笑うのは、
今、この愚かしくも輝かしい青春の中にいない大人読者の、唯一の特権でしょうか。


さて。


真樹の記憶力はやはりなにか明確な問題がある?
彼自身が自覚してるからデジタルデータに依存しようとするわけだろうし。
美樹と真樹が食い違ったときはメンヘラの方が分が悪いけれど、
実はずっと正しいのは美樹だったのだと、ここで確信することになるとは。

いやもちろん薄々気がついてはいたのですよ。
しかし確信して読み返すと、
『パラダイス・クローズド』
愛について語る美樹の切ないことと言ったら。

ミキちゃんと呼ばれ真樹のただひとりの大事な人として尽くされる、
それをあんなふうに疑うなんてと初読当時はちょっと思ったものですが、

巻数を重ねて、今回の話を考慮に入れ、真樹の記憶に問題があると確信すると。
美樹の不安に同調して、真樹を見てるのが怖くなります。

だってそれなら「ミキちゃん」は瑞樹のことじゃないか。

真樹の失った、あるいは摩り替えた「瑞樹の記憶」が正された時、
立花家の双子はどうなっちゃうのでしょうか。

ストックが尽きたので刊行が遅くなるかもとか言ってる場合じゃない。
早くTHANATOSの続きを読ませてください
と言わざるを得ない。


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山口芳宏『学園島の殺人』

……実は私、こっそり反省しておりました。
世間的評価の定まったベテランにならともかく、新進気鋭の作家に対して
前回のエントリーは厳しすぎたのではないかと。

せめてシリーズものなら2作目以降も読んでから、
いろいろあれこれ書くべきだったかもと。

いきなりしんみり状態から入ったのは、
そんな義務感から買った新作『学園島の殺人を読んで、
シリーズ1作目『妖精島の殺人』
大乱歩のような耽美さや幻想性を求めた私の方が
あきらかに間違っていたのだということがよくわかったからです。

この人はそういう作家さんではないのだ。
それをはっきり悟りました。
見当違いの方向で落胆して申し訳なかったとむしろ謝罪の方向で。

というわけで『学園島の殺人』
がらりと趣を変えて、著者本人がカバー折り返しで
「中高生に読んでもらいたい」と書いているように、
ハッキリ言ってジュブナイル。

筆が軽快で、読むスピードも一作目より三倍くらい早い。
著者が楽しんで書いているなあということが伝わってきます。

今回も最初のみ語り部の違うシステムなのですが、
前回の柳沢氏と違って今回は甘酸っぱい女子高生ですし、
柳沢氏のように無駄にくどくもなく、
さくっと謎に入るので読みやすいです。


舞台は全寮制の学園を中心に、そのOBや研究者で構成されている、
貨幣制度に至るまで独特のシステムを持った島。
交通網も独自に発達し、島の中で生活がすべてまかなえる
整備された高度な学園都市ですが、
式神地区という場所にいわゆるスラムが構築されてしまい、
問題視されています。

その学園の生徒である葉子は、親友の桜から不穏なメールを受け取り、
寮から姿を消した彼女を探していたところ、
存在しないはずの列車と、伝説の黒いサンタクロース、
そして放置された生首を目撃する――



島シリーズということで
貧乏な主人公たちの交通費や滞在費が懸念されましたが、
今回は国会議員様の依頼ということでその心配は要りませんでした。

とにもかくにも主人公森崎と探偵真野原は、
その学園の理事長として名前だけ貸している国会議員に頼まれて、
生徒と教師として潜入し、捜査をすることになるわけなのですが……

まあ、はじめからRPGだのエロゲだの、
「集英社ばかりだがいいのか」と楽屋落ち含めた漫画ネタだののオンパレードで、
この馬鹿げた漫画じみた設定のクッションを作ろうとしてますが、

ぶっちゃけあほらしい「再生の書」だのなんだのという設定を、
許せるか許せないかが
今後このシリーズをずっと楽しめるかどうかの境目だろうなと思うわけです。

中高生向けの漫画の設定だと思えばまあ、多少目をつぶって読めるか…
というくらいのスタンスで読み進めると、
その大きいが正直どうにもあほらしい謎ときよりも先に、
ちいさな、達成感のあるクエストがいくつか用意されていて、
そういう「読者を退屈させない趣向」はこの人の巧い所だなあと思います。

そしてそのちいさなクエストをこなしている最中に、
「生首の高速移動」という、いかにも本格推理らしい謎が読者に提示されます。
ここから「再生の書」のばかばかしさが薄れてくるので、
ここまでくれば最後まで読まされてしまいます。

というわけで最後まで読みましてその感想は、
『妖精島』よりさきにこっちを1作目にすべきではなかったのかと。
筆が明るくて読みやすかったし、
『妖精島』よりずっとキャラクターが生き生きしていましたし。
作者の持ち味とか個性とかが、理解しやすいし。








……いやでもですね、うん、
新人の作品を読んでもレビューどころかタイトルすら出さないことも多い中で、
こうして2作もレビュー書いてるんだから、
きっと私はこの人に何か期待するところがあるんだと思うのですよ、
だから厳しめのことも書いてしまうのですよ……と予防線を張りつつ。

以下厳しめの意見が続きますので嫌な方は避けてください。










ミステリなんだから暗号は作ろうよ。




「なんだか謎の文字が書いてあってそれを専門家に頼んだらこう解読されました」は
ないでしょうよ。



「再生の書」という設定そのものがこのうえなくリアリティがなくてばかばかしいのだから、
せめて「暗号を自力で解く楽しみ」くらいミステリファンにください。
物語上必要な設定としては「簡単な暗号」で良いわけなのだから、ちゃんと考えましょうよ。
暗号として最初は読めなくてだんだん内容がわかってきて、って流れがあれば
このばかばかしい設定ももう少し入っていきやすくなったのに。


主眼であった「生首の謎」に関してはよく出来てると思います。
理屈としては。
ああいう感じのトリックを作るのが好きな作家さんなんだな、と理解しました。
が。
心情的にはなにひとつ理解できません。

あのトリックを作ったあの人はキ(出版禁止用語)か?
こんな性格破綻者というか狂人の行いを、
「遊び心」とか……いろいろ本気ですかなんなんですかあの人たち。


今回は小さなクエストとか救世主とか、RPGを意識させようさせようとしているけれど、
作者までゲームを作ってる気分になっちゃいましたかと思わざるを得ない。
そのへんの筆加減を、
一応新人さんなんですから編集の人はもうちょっとセーブさせてくれないと…
「ああ、やりすぎたな」と思う箇所がちらほらあります。
地力はある作家さんだと思うので、そのへんの匙加減を覚えていただければなあ…


要するに物語のための、あるいは作者が楽しむための設定が、
先に勝つ癖のある作家さんなのだと思います。

小さなことですが、たとえば菜緒子さん。
彼女は優秀で心優しくお金持ち、隠し切れない品のある明るい美人さんで、
「同性にファンクラブまであるほど」という
物語上必要ない設定が語られるのですが…

私のような読者は彼女に、「まだ語られていない壮絶な過去」があって、
そのために彼女がいろいろ複雑な心理状態にあることを匂わされているから、
彼女に対しての好悪の判断は保留状態になっていますけれど、

物語上彼女に接している「その他大勢のキャラクター」たちはそうじゃない。
目の前にいる彼女だけを見て彼女を判断するわけですよ。

で、付き合ってもいない、幼馴染ですらない男の下宿に薄着で上がりこんで
勝手に掃除をし、勝手にエロゲを捨て、「見せパン」などといって下着を見せてからかい、
いろんな男性に気を持たせるそぶりをくりかえし、
あまつさえ路上で好きでもない男とあまり気にせずディープキスをするような人に対し、
男性はともかく、はたして女性が「ファンクラブ」を結成するものでしょうか?



無茶言うな。
さすがの森崎だって怒ったわけですよ。
その行動の理由を知らない周囲の女性はもっと不愉快でしょう。


まあ『妖精島』の柳沢のくだりでさんざん書いたことなのですが、
この作家さんは、男女の機微というか、恋愛関係を描くのが巧くない。
そのせいで菜緒子が割を食ってるんだろうなと感じます。
少年向けジュブナイルだと思えばまあいいかと思うのだけど、
少年向けジュブナイルだからなのか妙に色気のあるシーンを描きたがるから、
ちょっと気になってしまいますね。


レビューを書くのを放棄した某新人さんの作品に比べれば、
山口芳宏さんは女性キャラクターを大切に描いてるとは思いますけど、
それでもね、やっぱりね。
どんなリベラル思想だか知らないがそんなことのために
いくら消えるとはいえ娘の肌に針を入れさせる親ってなんだそれ馬鹿野郎。
笑えません。

そもそも。

なぜあの王国の王女の話が必要になるかわからない。

王国の方に何のメリットがあるのですか。
引き受ける方がまったく理解できない。
王女の人生なんだから、ゲームじゃないんですから。

豆腐のくだりまでは笑えました。面白かった。
しかし麻雀で王位継承権云々はやりすぎた。
それは笑えません。
国民がいるんだから、ゲームじゃないんだから。

厳しい意見の方がどうしても冗長になるものだから、
全体的なイメージとしてダメな本として読んだように見えるかもしれませんが、
繰り返しますが明るい文章で、飽きさせない展開で、楽しく読んだんです。
面白かったんです。
だから「ああもうこれがなけりゃ~!」と思ってしまうわけなのです。
ダメな本だったらそもそも何も書かないですから!


いろいろ考えながら書いてるうちに、心情的な流れより設定が勝ってしまうことや、
面白いシーンを書いていて筆が滑ってやりすぎてしまうことは、
新人のうちはどうしたってあるものですし、新人のうちはまあ見逃せますけども、
編集さんはそのへん、ストップをかけたりするのは仕事のうちじゃないんでしょうか…

編集さん仕事してんのかよとどうしても思うのは、

表紙のイラストのせい
で、
物語中盤以降まで作者が隠しているある秘密のうち2個が、
ミステリ読み慣れた読者には最初からバレバレだっていうことなんですよ。
「やっぱりそうだった」と明かされたとき、正直アホかと突っ込み入れましたもの。

この絵師、いい絵を描きますけども、絵自体は好みですけど、
嫌がらせなんですかそれとも天然なんですか
それとも「本格ミステリ」がよくわかっていないのですか。

表紙のラフが上がってきたときにダメ出しするのは誰の仕事?



いろいろ書きましたがしかし全部、少年向けの漫画だと思えば許せる範囲。
中高生向けのライトノベルレーベルならば、
「意外なところに本格的なミステリを書く力を持った作家がいるぞ!」
というスタンスで紹介しているであろうと想像できます。

そういう心構えで読むと、普通に笑いながら楽しめると思います。褒めてるよ。

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京極夏彦『数えずの井戸』

京極夏彦の新刊ですよ。

「一枚足りなーい」でお馴染みの、番町皿屋敷換骨奪胎。
たった今読み終わったばかりです。

四谷怪談換骨奪胎『嗤う伊右衛門』がすごく好きだったもので、
本日書店で見かけて即座に買いました。
そしてはじめて知った、江戸怪談シリーズ三作目だったのですね。

又市とか(名前だけとはいえ)宅悦とか
『嗤う伊右衛門』に出てきた人たちが登場してて、
あれこれもしかして実は「又市シリーズ」なのだろうか、
続けて読まなきゃわからないこともあるのかなあと思いつつ。
二作目である『覘き小平次』は未読のまま番町皿屋敷レビュー参ります。



番町皿屋敷についてどれだけご存知ですか?



私はそういえば何を知ってるかなあと思い返してみて、
「10枚揃えの家宝の皿を一枚割った菊が、
殿様にお手討ちにされ井戸に捨てられ、
夜毎その井戸に化けて出て皿を9枚まで数え、一枚足りないと呟く」
ということしか知らないことに今頃思い当たりました。

だがそんな酷い目に遭っていながら皿を数えるだけなら、
はたして何百年と語り継がれるだろうかそんな害のない幽霊。

そういやなんかどろどろの男女の愛憎劇がどうのこうの、って
話を小耳に挟んだこともあったかなあとおぼろげに思い出しながらページをめくると、
ご親切に巷間伝え聞く番町皿屋敷怪談のあらゆるバージョンが、
はじめにいくつも示されてあります。

そしてあらためてどれもこれも、
「菊が夜な夜な井戸で一枚足りないと呟く怪異」
引き起こす理由付けにはなっていないことが明確にわかるわけです。

当然
「どうして菊は化けて出て皿を数えるのか?」
という疑問を持って、
読者は頁を読み進めるわけですよ。
この最初の大きな疑問を解こうという強い意志があるので、

出てくる登場人物がどいつもこいつも好きになれなくても、
誰も彼もにイライラしても、スラスラ読み進められる仕組みです!
さすがですね京極先生!
……ぶっちゃけたよぶっちゃけたよ私。

いや本当にですね、単に私の個人的な好みですよええ、
登場人物みんな、びっくりするくらいイライラするね!


『嗤う伊右衛門』のような美しくも悲しい恋物語だと思って読んだら、


なんというかダメ男二人の間違った愛情表現に、
それも多分に相手のためというより歪んだ自己愛の投射によって、
まわりの人たちが関係ないのに巻き込まれてメチャクチャにされましたという、

……三行でまとめるともう救いようがないです。



『嗤う伊右衛門』に比べると倍くらいぶ厚いんですけど、
正直繰言が多すぎます。

「それさっき聞いた」
とツッコミたくてしょうがありません。
新聞連載していたそうなので字数制限とか引きの関係とか
そういう問題もあるのでしょうが、内容的にはこの頁数要りませんよね。

むしろこの頁数があるのなら、

もっと菊を、菊の内面を、その善人性を、過去に彼女がされてきた仕打ちを、
掘り下げて描けたんじゃないかと思うのですがどうでしょう。

彼女に読者がもっと共感しやすいように、
彼女がどんなに自分に不利になっても嘘を突き通すその心根が
もっと美しいものであると読者が思い込めるように丁寧に描いてくれれば、
菊の追い詰められている心情をもっとエピソードによって描いてくれてれば、
私の読後感は全然違ったんじゃないかなあとそれは本当に残念です。

「私バカだからわからない」と言って周囲を斬り捨てるのは、
「なんかもう面倒だし何もかもどうでもいい」と言って周囲を斬り捨てる殿様と、
満ちてようが欠けてようが、同じとても冷たい心持だと私には映ります。
又市や徳次郎が最後に嘆くほど菊を美しいようには見えないんです。

殿様はもう本気で途中で「早く誰かこいつをぶん殴れ」と思ったし。
まあ救いは三平くんがいい男だったことですが。
三平くんは本当に心底かわいそうです。

まあダメ人間勢ぞろい大会だからこそ
この太平の世で旗本のお武家様が
たかが皿でお家崩壊するわけで、
マトモな判断力と決断力と行動力のある利口な人がいたら
こんな悲劇にはなってないわけで、
登場人物みんなに腹が立つのは当然のことなのでしょう。

でもやっぱり読後感がよくないのは、
前述の通り菊が「何故そこまでするのか」に対しての説明が
つきつめていうと「バカだから」という身も蓋もないものだということと、

主膳と播磨の人間関係がいまいち伝わってこない、ということ、
殿様播磨は特に何の思い入れもないことはよくわかったけれども(笑)、
主膳がどうして播磨にあれほど執着するのかがよくわからないので、

主膳の中で分類できない複雑な感情ならそれはそれで、
これだけのページ数があるのだから、
播磨との道場での日常的な何気ないやり取りから、
徒党を組んで悪さをするときの会話や表情、
そういったエピソードを積み重ねて読者に「思い入れ」を
持たせておくのは必要だったのではないかなあと思うのですよ。

播磨は何にも興味ない。何か欠けてる。
菊はバカ。私のせいで収まるならそれでいいや。
主膳は播磨を、世界を壊したい。
十太夫は褒められたいだけの器の小さい善人。
吉羅は手に入る欲しいものは必ず手に入れる主義。

ただそれだけのことを繰り返し繰り返し己に語らせるだけではなくて、
具体的なエピソードの積み重ねが欲しかった。

みんながみんな自分のことを「自分はこういう人間だ」と自分で語り、
そしてそこから変わろうとあがくわけではないので、
最後のカタストロフィでも読んでいるほうの感情も高ぶらず、
ただひとり己の枠を越えた三平くんにのみ、心は揺れました。

そして最初に提示された
「何故菊は化けて出てただ皿を数えるだけなのか?」
という大きな疑問に対して示される答えは、
菊に感情移入できない、菊に強く同情できない読者にとっては
「え? それだけ? それだけの理由?」という……
ここまでその疑問で引っ張ってきてそれはちょっと肩透かしな…


どうしても『嗤う伊右衛門』と比べてしまうので
読み方が厳しくなってしまうのは、
傑作を書いた作家の悲しい宿命なのでしょう。
多分、先にこっちを読んでたら
こんな厳しめのレビューにはなってなかったろうと
自分でも思います。

ただやっぱり納得がいかないんだよ!

長屋と武家屋敷がどれだけ近い位置関係にあるんでしょうか。
「何があったか誰にも判らない」とはいえ、

菊が斬り伏せられて播磨が小姓を長屋に遣わす判断をして、
小姓がとにかく長屋に行って菊が死んだとお静に告げて、
お静が呆然としつつも三平に伝え、
三平と静と徳次郎と三人で青山家に行き、
あの状態を目撃する、というのは

え?

と思うわけですよ。
ちょっと難しくないですか。

長屋が武家屋敷の三軒隣にあるわけじゃないだろうし、
小姓は長屋に知らせに行くそれ以前に
あるいはそのすぐ後に下命に背いてでもやるべきことがないですか?
なんで発見がそんなに遅れる? 
小姓何してんだ?
あなたが長屋に行けと播磨に言われたのは、
狼藉者が現れて腰元斬り殺されてお殿様に刀向けられてる最中でしょう?

主膳も主膳で、播磨がテキパキ(?)と
菊の遺体の引取りの算段をつけてる間
黙って見てたわけですか?
黙って小姓を外に出させたわけですか?

難しいでしょう。

ちょっとどう考えても時間的にも感情的にもいろいろ無理があるでしょう。
番町皿屋敷のすべてのバージョンを内包する物語
を作るというテーマなのでしょうが、

無理がある部分、難しい部分は
「目撃者がいないので本当のことは判らない」で曖昧にするのでは、
わざわざ有名な、誰でも知っている「おはなし」を「独自解釈で語り直す」ことの
意義そのものが失われると思うのです。
物語の美しさを優先し、捨てるべき説は捨てても良かったんじゃないのでしょうか。



まあとりあえず足りないなと思う部分は脳内で勝手に補完して、
主膳それ恋だYO! とツッコミながら読み返せば、
この悪い読後感も少しは救われるんじゃないかと思います。
……いや腐女子の悪い癖じゃなくても
昔の日本で衆道なんか当たり前なんですからして!


いろいろ厳しめのことを書きましたが
それでもさすがに京極夏彦先生
このぶ厚さを飽きずに一気に読ませる素晴らしい筆力でして、
人それぞれキャラクターには好みがありますから、
誰か好きになれるタイプがいたら引き込まれてしまういい本だと思いますよ。
特に播磨の虚無感は、この太平の日本では共感する人が多いかもしれません。


江戸怪談換骨奪胎シリーズはこのまま続くのでしょうか。
ならば鍋島の化け猫とか是非読みたいです。

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『ジャンピング・ジェニイ』文庫化――!

ミステリの秋万歳!

アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』が初文庫化です! 
まさか発表後70年以上経ってから初文庫化があるとは!
いつか歳をとって暇が出来たら
図書館で国書刊行会発行の『世界探偵小説全集』を
読み漁るつもりでいたのに…! ありがとう! ありがとう創元文庫!

『毒入りチョコレート事件』が新装化することは知ってましたが、
この件は書店ではじめて知って、平台の最後の一冊で、慌てて買いました。
……ええもちろん『毒入りチョコレート事件』の新装版も買いましたよ。
……ええもちろん旧版持ってますよ内容同じですよそれが何か。

バークリーが大好きです。
今まで読んだミステリの中で何が好きですかと問われれば、
順位をつけるのは不可能だけれども一番めか二番めには、
「毒入りチョコレート事件!」と名を挙げているはずです。
これは私の「個人的古典ミステリブーム」に火をつけた最初の本でした。
『試行錯誤』も『ピカデリーの殺人』もアイルズ名義の作品も好きだー!

ちなみにいつも『毒入りチョコレート事件』と争うのは『九マイルは遠すぎる』。
私の好みの傾向がよくわかる2冊(笑)。

でもこれから三番目か四番目には『ジャンピング・ジェニイ』も挙げるかな!
面白かったです。幸せです。創元文庫には珍しく訳もよかった! 

バークリーは皮肉の効いた文章の巧みさや会話の妙や、
そしてどこまでも論理的な推理展開の素晴らしさもさることながら、
なによりキャラクターがチャーミングでたまりません。

『ジャンピング・ジェニイ』は毒入りチョコレート事件でもお馴染みの、
ロジャー・シェリンガムが一応の「探偵役」として主役にいるのですが、
最低だこいつ(笑)。

舞台はシェリンガムの友人、ロナルド・ストラットンの館で開かれた
たいそう悪趣味な「殺人者とその被害者に扮装するパーティー」。

世間では名探偵ということになっている、そして自分でもそう信じている
コスプレひとつまともに出来ないロジャー・シェリンガム氏は、
そこでロナルドの弟ディヴィットの妻、イーナの奇矯なふるまいを目にします。

イーナという女性がとてもハタ迷惑で、皆を酷い目に遭わせていること、
誰もが彼女をもてあまし、そして彼女に追い詰められていることがわかります。

やがてイーナは首吊りの状態で発見されるのですが、
登場人物がすべて「死んでくれて清々した」とハッキリ考えているという状態。
我らがシェリンガム氏も含めて。

もしかしたら違うかもしれないけど自殺でいいよ! じゃあそういうことで!
暗黙の了解で誰も彼もがそういうふうに動きます。

しかしさすが我らがメイ探偵シェリンガム、現場をくまなく見たことで
「あ、これ殺人事件だ」とひらめいちゃうわけですが、
そこで彼はアッサリと証拠隠滅に動きます。
こらこらこらこら!!

ところがそのうっかり動いた証拠隠滅のために、
事態はどんどん悪い方向へ転がっていくはめに。
もうね、シェリンガムとコリン・ニコルスンの会話は笑い無しには読めません。
コリンを呼び出し、大威張りでこれが実は殺人事件だと開陳したメイ探偵、
あっさりコリンに推理をひっくり返され、それどころか。

「その解釈でいくと最有力容疑者は君自身では」

と指摘されてしまい、しかも反論できなくて、探偵も読者もびっくりです。
コリンがそのまま警察に言ったら一巻の終わりな勢いです(笑)。

このまま自殺として片付けるためには、警察より先に犯人を見つけて、
みんなで口裏合わせをしなくてはいけなくなったシェリンガム。
どんな探偵だそれ。
彼が大忙しで空回ってコリンに嘲笑されてる間に、
淡々と地道に警察は事件解明に動いていく対比が、
読んでいるこっちも焦るやらおかしいやら不謹慎だと自己嫌悪するやらで。

空回りっぱなしなシェリンガムに対して、冷静なツッコミ役コリンが萌えます。
もうふたりでコンビ組んじゃえよな勢いで可愛いです。


「(略)思い出せない。大事なことなのか」

「もちろんだ。ミセス・ストラットンの死を望む動機を持った人間すべての
足取りを押えておきたいんだ。あの女が舞踏室を出ていってから、
ディヴィットが戻ってきて、彼女が家にいないと言い出すまでのね」

「まったく難儀なことだな、そう簡単な仕事じゃないぞ。
わかった、なんとかやってみよう。
ちょっと待ってくれ、もう一度考えてみるから」

 ロジャーは、薔薇の木の根元を不法に調査していた一匹の
ハリガネムシを相手にあそびながら待った。

「じっとしてくれれば、考えることもできるんだがな」コリンは言った。

 ロジャーはじっとしていた。

「うん、思い出したよ(略)」





ロジャー可愛いよロジャー。
コリン思い出すの早いよ、遊んでるでしょう(笑)。
その後いろんな人を犯人として推理を展開させるもコリンにすべて反駁され、
僕を犯人扱いしたときは平然としてたのに!
拗ねる様子も可愛くてたまりません。

229頁の

「黙ってろよ、オズバード」

このコリンの一言で私この人に落ちました。コリンステキすぎる。


その後も誰が犯人だかわからない中、でも疑心暗鬼になるのではなく
「誰が犯人だか知らないけど誰が犯人でもとにかく庇わなければ」という
妙な連帯感で、偽証工作(言い回しがほかに思いつかない)を続けていく友人たち。

そしてバークリーですからもちろん、最後には予期していなかった
二転三転があって、「そうきたか!」と唸って終わります。
さすがですマエストロ、一筋縄では終わりません。


本物の知性というものは、どんなに時が経っても色あせないのだなあと思います。
『毒入りチョコレート事件』にも顕著な、
ある方向から見たら正しいように見える推理だって、
それは真実とは限らない。
一見筋道立ってるような推理なんて、
どこからでもいくらでも作れるんだから。
というバークリーの怜悧で明晰な、徹底した突き放した感が心地よいのです。

『ジャンピング・ジェニイ』が飛ぶように売れたら、
ほかの文庫化してないシェリンガムシリーズも
続々文庫化されたりとか…しないでしょうか…
読みたいな…! 読みたいです東京創元社!
よろしくお願いします!

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山口芳宏『妖精島の殺人』

秋はミステリの季節です。
年末の「このミス」に合わせる為に
刊行ラッシュがあるからだとかいう世知辛い事情は抜きにして。
どんだけ講談社ノベルズ好きなんだという感じで続いてますが。
季節なので仕方がないのです。

というわけで鮎川哲也賞受賞の作家が、講談社ノベルズに初登場。
いきなりの2ヶ月連続上下2冊刊行で、いきなりのシリーズ化決定で、
いきなりのシリーズ次回作発売時期予告付きで、
出版社側の意気込みが伝わってきます。

さぞかし面白いんだろうなと読者側が心配になるほど
ページを開く前からハードルがガン上げですよ。

……えてしてこういう場合、
読者側は非現実的なレベルまで期待値を上げてしまうので、
絶対的評価としては高いレベルでも、
自分の中の期待値の高さから相対評価して、
「それほどでもなかった」と言ってしまいがち。
比較対象が存在しない漠然とした理想」なんだから
勝てるわけがないというのに。

だからというかなんというか、
上巻第一章が………………辛かった。

正直ぶっちゃけるともう、
なんで一緒に下巻買っちゃったんだろう!
買う前に立ち読みしろよ自分!
と考えたくらい、しんどかったです。

いやもう、言いたいことはいっぱいあった。
ひとつひとつ指摘したくてしょうがなかった。
しかし。
しかしです。

第二章が始まってからはそんなことも忘れました。
読むスピードが急激に上がった。
大丈夫。この本面白いです(笑)。

どういうことかと申しますと、
第一章は大資産家がまるごと買い付けた孤島へ、
派遣社員の柳沢という男性がある理由で上陸を試み、
そこで不思議な世界を見て、酷い目に遭う、という事件が描かれていて、

第二章では柳沢からその一部始終を聞いた主人公たちが動き出す、わけです。
第一章だけ語り部が違うという仕組み。
そしてこの柳沢という人がどうにもこうにも……

「もしかしたら全部柳沢の妄想で、
そんな世界は実在しないのではないか?」

という疑問の余地を残す物語上の必要があるので、

現実と妄想の区別がつかなくなる可能性のありそうな人間

という性格設定。
ひとりで何もかもしなければならない物語上の必要があるので(笑)、
コミュ力の低い、社会的に重要でない人間、という設定。

妖精の扮装をしても似合ってしまうほどの絶世の美女と、
命を懸けてもいいほどの恋に落ちる、という「物語上の必要」と、
柳沢の「物語上必要な設定」が、噛みあっていないんです。いないんですよ!

作者自身もそこは弱いと思っているらしく、
2章で必要以上に、
「絶世の美女ともなると意外とそうそう男は寄ってこなくて」とか、
「金で買える女ばかりじゃなく、誠実な男を求めてる女は多い」とか
「自分で言うより柳沢の容姿は良い」とかフォローに回ってますが……

容姿や美女側やお金の問題でなく、
もうすこし柳沢氏本人を魅力的に描けないものかと…
どうにも真希との恋が巧く描けていなくて、
読んでいて辛い。全然入っていけない。

でもその苦行を抜けるとあとはスラスラ読めます。
スラスラ読めるということは破綻がないということであり、
即ち「新本格のテンプレ通り」ということであり、
……悪く言えば、特に目新しい個性的なものは、ないのですが。

しかし本格ミステリに「破綻がない」は褒め言葉。
読者に対してフェアに美しく、真摯な姿勢で臨むあまりに、
下巻のはじめあたりで犯人もトリックも
正直ミステリ読み慣れた人間にはバレバレなんだが、そこはそれ!

予測どおりの真相がじわじわ明らかになるものの、
読者を退屈させないようにいろいろ趣向を凝らしているし、
やっぱり綺麗に着地しているミステリは読み終わってすがすがしいです。

シリーズ化が決定しているということで、最初は顔見世興行ですから、
ある程度「わかりやすい」ものが来るのは仕方ないのかも。
……でもまあ、次回作は、せめて探偵が到着してから
読者が謎を解けるくらいの叙述で……

今回はやはり物語の長さと規模に対して、
登場人物が少な過ぎたのがバレバレの原因だと思う…
主犯ははっきり言ってもうほぼ上巻で正体まで見当つくし…

ミスリードのためだけに登場人物を増やすのは
どうやら作者の美学に反するみたいなんですが、
だったらせめて菜緒子も真野原も意外と信用できないとか、
例のアレ宜しく「私」ですら読者には怪しく見えるとか、
「探偵側」まで容疑者に巻き込んじゃえば良かったんですよ、
それが通用するのは第一作目だけなんだし。

上下2冊の長さに対してどうも読み応えがないなと思うのも、
後半部分はこちらの推理が正しかったことが立証されていくだけ、
あとは動機の面の補強がされていくだけだったので、
正味1冊分くらいしか「読んだ」感がないせいかなあとも思うし、

講談社ノベルズのくせに薀蓄が足りないぞ! 
というせいかも知れません。

「妖精」をテーマにしたからには
ケルトの伝承から数ページに渡って語らないと!
それでこそ講談社ミステリというものでしょう!
足りないんですよ「コティングリーの妖精写真」とドイルの関係なんて、
ミステリ好きには常識の範囲内だから。
異論は認める。

実際島を丸ごと買い取って「妖精」をテーマにした一大パノラマを作るという割に、
その執念めいたものが伝わってこないのは、
薀蓄の足りなさと、描写の曖昧さにあると思います。
第一章じゃ最重要な「城の外観」が全然伝わってこない。
どうでもいい裸の描写は執拗にあるくせに。

町は「地中海風の白い壁」くらいしか描かれていないし、
島民の服装描写も「ヨーロッパの農民風」って、漠然としすぎ。
「ヨーロッパ風」で描いた気にならないで欲しいなあ、と。

いつの時代のどこらへんの地方まで「私」が説明できないなら、
せめて読者が思い描けるくらいにディティールを描くべきでは。
城の内部描写もどうも通俗的というか、有体に言うと「貧乏くさい」し。

異世界の妙を表現するそういう描写が適当なのに、
裸だの女だのだけしつこく乳首の色まで描写するから、
「幻想的な妖精世界」でなくて
「それを模した風俗店」にしか見えないのですよ、残念なことに。

まあ大乱歩の『パノラマ島』とまではいかなくても、
タイトルを見て、耽美で幻想的で外連(けれん)味のある作品かな、という
「漠然とした私の理想」と相対しての評価だからこう思うのであって、
そういう思い込みがはじめになければ、「よくできたミステリ」だと思います。
……私も本格ミステリに毒された、「嫌な読者」になってるんだと思います。

シリーズ2作目は来年発行『学園島の殺人』だそうです。
……島シリーズなの?
貧乏なのに? 

交通費の工面が大変そうだ。
 

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山口雅也『古城駅の奥の奥』

…一番最初にお断りしておくと山口雅也さんは好きな作家さんですよ。
新本格の枠に囚われない遊び心の満載な、変化球投手なのは最初から知ってます。
『ミステリーズ』大好きだし。

そして私は東京駅が大好きです。あの時代の建物マニアです。
山口雅也さんの、東京駅を舞台にした講談社ノベルズ。
私がどれだけわくわくしながら頁を開いたか。

……悩みました。
どこまでが変化球でどこからが反則なのかな、と。

どこまでが粋な遊び心でどこからが陳腐な児戯なのかな、と。

でも確かにノベルズのどこにも「本格ミステリ」とは書いてなかった。
そもそもが私の思い込みだった、だとしても。

いずれにせよ正直な感想はこれです。
……「浅い」。


引きこもりで活字中毒の居候の叔父に感化され、
「将来の夢」がテーマの作文に「吸血鬼になりたい」と書いたことで問題視され、
カウンセリングを受けることになった小学六年生の陽太

物語はここから始まりますが、
私が担任の教師なら、
「ふざけるな、真面目に書け」と再提出を申し付けて終わります。

最初からどうも世界に入っていけない。
読書家の小学校六年生ってこんなに幼稚だったかな。
空気の読めない夢見がちな子として読み進めればいいのかな、と思ってると
物語世界では
「その辺の大人より柔軟で知識欲旺盛、目端が利いて、賢い」
ということになってるから、どうにもちぐはぐで。

途中で「夏休みの課題」として選んだ「東京駅の詳細」のために
ステーションホテルに泊まり、叔父の友人の駅員に案内してもらうくだりは、
この本を持って東京駅を散策しよう! と思ったくらい魅力的でした。
でもそれは「東京駅の魅力」だ、と言われてしまえばそれまでですが。

でもなんとか出だしの引っ掛かりを押さえ込んで、
東京駅の歴史や謎めいた構造に胸をときめかせ、
人間関係が出揃って、
さあここで、事件発生ですよ。


ミステリマニアの叔父と甥が第一発見者の、
深夜の東京駅構内、
本来閉鎖されている通路内での殺人事件。

これで本格ミステリだと思い込んだほうが悪いというなら、
ちょっと酷いと思うんです。

……まあ悪い予感はしてたんだ。
正直ギャグマンガレベルのネーミングとかで。

ミステリマニアの小学生、陽太とそのガールフレンド留美花が、
あーだこーだと推理合戦を繰り広げるわけです。
とにかく小学生では情報を集める手段は限られてしまうから、
さあどうする、どうするこどもたち!? 
と読み進めると――






「魔法陣を描いて吸血鬼を呼び出そう」






……ええええええええええええええええ。

声出しました。本当に「えええええ!?」って言った私。

いやまさかね、どうせ呼び出したりは出来ない、何かの前フリだ、
それにしては残り頁少ないけどな、と思ってたら


召喚できるとか。
なんだそれ。
えええええええええええええええ。

あとはもう怒涛の台詞、台詞、台詞。
全部言葉で説明して終わり。
なんだこれ。
本格ミステリじゃないのはわかった。
でもホラーでもないよね。
サスペンスでもなかったよね。何も怖くないし。
子供たちのための冒険譚でもないよね、
子供たち結局事件解決に寄与してないし。
何の本なんですかこれ。
それが感想。

「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」というお題目でお馴染みの、
「講談社ミステリーランド」シリーズ用に書いたものを
加筆・改稿したものだそうですが、
私はミステリーランド版の方は未読です。

でも「ミステリーランド」で読んでても「えええええ」と言ったと思います。
子供向けならいいとかいうレベルの問題じゃないと思うのです。

ミステリーランドといえば
第一回配本だった小野不由美さんの『くらのかみ』
やはり子どもたちを主役にした、
オカルト……というと語弊があるな、
「座敷童子」と「謎解き」を融合させたミステリで、
こちらは「変化球ストライク」でした。

それを思い出して、「変化球」と「反則」の境界って何かなあ、と考えてます。

『くらのかみ』が良く出来てるのは、
座敷童子が見えてるのは子供たちだけで、
ゆえに「大人を差し置いて子供が真相にたどりつく」ことが必然になっている点。
「真相以外の推理」については丁寧にダメ出しが説明されていて、
謎解きがきちんと着地している。
子供が主役であるための理屈付けとしての「座敷童子」。

『古城駅の奥の奥』は、推理をしてるのが「情報の乏しい子供」。
だから読んでいる方としては、情報量が少なすぎて
「いやこれ、現場の状況とかアリバイとかもっと調べてきちんと潰していけば、
犯人とトリックがわかるんじゃないか」という希望をまだ残しているのに、
他の可能性の潰し方がまだまだ甘いのに、
いきなり超現実があらわれて台詞だけで「これが真相でーす」と言って終わり。
主役が子供である必要性が皆無。

いっそ最初から叔父さん主役にして彼が恋に落ちたところから物語を始めて、
「登場人物の中の誰が吸血鬼だ?」という謎解きにするならわかる。
そういう展開の方が自然に読めたと思うんです。

そして「警察を納得させるための一応のトリックと犯人」が用意されていて、
それだけでミステリとしては成立するけれど、実は真相は吸血鬼の…という
二重底だったらよかったのに、と思うんです。

子供が主役、であるからには、読み手としては
「物語の終盤で何かを獲得していて欲しい」と期待するもの。
成長物語であって欲しい、と。
謎解きに寄与しない傍観者としての主役ならばなおのこと。
でも陽太は最初から何も変わらない。
最初から吸血鬼を信じているし、最初から大人を適当にだましている。

なんとか子供が主役である物語らしさを出そうとしてか、
ラストに手垢のついた常套句が書かれているのですが、
それがまた


大人たちは、存在しないはずの冬のコウモリが存在することを知らない。
同様に、実在しないはずの途方もないものが実在しているという事実も
知ろうとはしないのだ――




……なんという悪文。


いいのかなこれ。いいんですか講談社。
ミステリーランドではどうだったんでしょう、
私は子供には美しい日本語を読んで欲しいのですが。

一応繰り返しておきますが山口雅也さんは好きだったんですよ。
多分東京駅の魅力を伝えたかったんでしょう、
ええそれは伝わりましたとも、充分に。
子供向け、というお題目に自縄自縛になって
何をどうしたらいいのか本人がわからなくなっちゃったのかな、
そんな印象を受けました。

でも作中にご自分で書いてるじゃないですか。
留美花や陽太は大人向けのブラウン神父やクイーンを、
わくわくしながら楽しんで読んでいるじゃないですか。

それでよかったんじゃないですか。
……そう思うんですが。


とりあえず新幹線プラットホーム3、4番線南側の柱は、
今度じっくり見て来るつもりです。


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